国民的漫画として長く愛されている『ドラえもん』ですが、実は現在知られている設定のすべてを藤子・F・不二雄氏が最初から考えていたわけではありません。
連載開始直前までドラえもんの姿さえ決まっていなかったり、途中で存在を消されたキャラクターがいたりと、制作の裏側には意外な話が数多く残されています。
さらに、『ドラえもん百科』という別の漫画から生まれた「方倉設定」が、いつの間にかドラえもんの公式設定のように広まった例もあります。
ネットで有名になった「幻の最終回」や「謎の放送回」についても、公式に確認できる情報と都市伝説を分けながら紹介します。
ドラえもんは連載直前まで姿さえ決まっていなかった

今では世界中で知られているドラえもんですが、連載開始前から完成されたキャラクターだったわけではありません。
藤子・F・不二雄氏自身が描いた制作秘話『ドラえもん誕生』によると、新連載の締め切りが迫っても、なかなかアイデアがまとまらなかったそうです。
さらに驚くことに、連載開始を知らせる予告ページの締め切りになっても主人公の姿さえ決まっていませんでした。
そのため予告にはキャラクターを描くことができず、大きな「出た!」という吹き出しなどを使って新連載を告知する異例の形になっています。
その後、藤子・F・不二雄氏が娘のおもちゃだった起き上がりこぼしにつまずいたことをきっかけに、以前から頭に残っていた「ドラ猫」と「起き上がりこぼし」のイメージが結びつきました。
そこから丸い体をしたネコ型ロボット、ドラえもんの発想につながったとされています。
計画的に何年も練られたキャラクターではなく、締め切り寸前のひらめきから国民的作品が誕生したというのは驚きです。
『ドラえもん』には6種類の第1話がある
『ドラえもん』には、実は第1話がひとつではありません。
連載が始まったのは1969年12月発売の1970年1月号で、『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』の6誌で同時にスタートしました。
しかも同じ漫画を6誌に掲載したのではなく、それぞれの読者に合わせて別の第1話が描かれています。
幼い読者向けでは分かりやすい内容になっている一方、学年が上がるにつれて説明や物語も少し複雑になります。
現在は『ドラえもん 0巻』に6種類すべてが収録されているため、読み比べることも可能です。
同じ作品に6種類もの「始まり」が存在するのは、学年誌を中心に連載していた『ドラえもん』ならではの特徴でしょう。
のび太には本来「決まった学年」がなかった
現在のドラえもんでは、のび太は小学生というイメージが定着しています。
しかし連載初期には、「のび太は必ず小学○年生」という形で学年が完全に固定されていたわけではありません。
『小学一年生』を読んでいる子どもには小学一年生に近いのび太が登場し、その読者が進級すると次の学年誌でも物語を読み続けられるようになっていました。
『藤子・F・不二雄大全集』でも、この掲載方法は「学年繰り上がり方式」として整理されています。
つまり初期ののび太には、「読者と同じくらいの年齢の少年」という役割が強くあったのです。
現在のキャラクター設定だけを見ると分かりにくい、学年誌時代ならではの仕組みでした。
幻のレギュラー「ガチャ子」は作者によって消された
連載初期の『ドラえもん』には、現在ほとんど姿を見せない「ガチャ子」というアヒル型ロボットが登場します。
ガチャ子は未来からやってきて、ドラえもんと一緒にのび太を助ける存在として描かれました。
ところが、登場してからそれほど経たないうちに突然姿を消しています。
藤子・F・不二雄氏は後年、ガチャ子を登場させるとドラえもんとの間で物語の焦点が分かれてしまい、作品の性格まで変わってしまったという趣旨の説明をしています。
その結果、ガチャ子は「いなかったこと」にされました。
長い間、通常のコミックスでは読むことが難しいキャラクターでしたが、『藤子・F・不二雄大全集』には「ドラえもん対ガチャ子」などの作品も収録されています。
作者自身が登場させたキャラクターを途中から消してしまった、珍しい例です。
スネ夫の弟は藤子・F・不二雄氏にも忘れられていた
スネ夫は一人っ子のように見えますが、実は「スネツグ」という弟がいます。
スネツグは連載初期に登場したものの、やがて長期間出番がなくなりました。
その後、『藤子不二雄ランド』の編集作業で昔の作品が整理された際、スネ夫に弟がいたことが改めて発見されます。
当時の編集者による証言では、藤子・F・不二雄氏自身も過去の作品を確認し、弟だったことを認めたうえで「忘れていました」という趣旨の反応をしたそうです。
そこで後から、「スネツグは子どものいない親戚の養子となり、ニューヨークで暮らしていた」という設定が作られました。
そして原作40巻収録の「スネ夫は理想のお兄さん」で再登場します。
作者が昔の設定を忘れ、そのつじつまを合わせるために新しい設定を追加したという、長期連載ならではの裏話です。
ジャイ子の本名が明かされない理由
ジャイアンの本名は「剛田武」ですが、妹のジャイ子には現在も本名がありません。
「ジャイ子」という名前自体が本名のようにも見えますが、作品内では基本的に呼び名として扱われています。
なぜ本名を作らなかったのでしょうか。
2006年に放送された藤子・F・不二雄氏の特別番組で、シンエイ動画関係者がその理由を語っています。
ジャイ子の本名を決めようという話が出た際、藤子・F・不二雄氏は、現実に同じ名前の女の子がいたら「ジャイ子と同じ名前だ」とからかわれるかもしれないと考え、本名を付けることをやめたというのです。
ただし、これは藤子・F・不二雄氏本人が文章として残した説明ではなく、関係者による証言です。
そのため「作者が公式に発表した設定」というより、制作関係者によって後から明かされたエピソードとして考えるのが適切でしょう。
有名なドラえもん設定には「方倉設定」が混ざっている
ドラえもんの裏設定を調べるうえで、避けて通れない人物が方倉陽二氏です。
方倉氏は漫画家で、藤子不二雄作品のアシスタントを務めた経験もありました。
その方倉氏が『コロコロコミック』の創刊期から描いていたのが『ドラえもん百科』です。
『ドラえもん百科』は、ドラえもんの体の仕組みや未来世界、ドラミとの関係などを、漫画を使って面白く解説する作品でした。
ところが、原作で説明されていない部分については、方倉氏自身が想像を広げて設定を作ったケースもあります。
このように方倉氏が加えた独自設定は、現在ファンの間で「方倉設定」と呼ばれています。
ごく簡単に言えば、「原作者が最初から考えた設定ではないものの、公式に近い場所で長く紹介されていた設定」です。
さらに一部はテレビアニメなどにも採用されたため、子どものころに見た人が「原作にもある正式な設定」と思っていても不思議ではありません。
藤子・F・不二雄氏自身も、後にドラえもんの設定について、自分が後から知って驚いたものもあったという趣旨の文章を残しています。
その代表例が、ドラえもんとドラミの「オイル」の話です。
『ドラえもん百科』では、2体が兄妹なのは同じ缶のオイルを使ったからだと説明されています。
先に作られたドラえもんには上に分離した薄いオイルが入り、後から作られたドラミには下に沈んだ濃いオイルが使われたため、ドラミの方が優秀になったという設定でした。
非常に有名な話ですが、藤子・F・不二雄氏の原作漫画から生まれた設定ではありません。
「ドラえもんの常識」だと思っていた話が、実は別の漫画家によって作られていたというのは興味深いところです。
ドラえもんが青くなった理由は何度も変わっている

ドラえもんといえば青い体が特徴ですが、「なぜ青くなったのか」という理由は、実は時代によって説明が変わっています。
もともと藤子・F・不二雄氏の原作漫画では、ドラえもんの体が青い理由は詳しく説明されていません。
そこで広く知られるようになったのが、元アシスタントで漫画家の方倉陽二氏が『ドラえもん百科』で作った設定です。
方倉設定では、ネズミにかじられて耳を失ったドラえもんが、自分の姿を鏡で見たショックから青ざめ、黄色い体から青い体になったと説明されています。
しかし1995年公開の映画『2112年 ドラえもん誕生』では、この設定が大きく変更されました。
ドラえもんはネズミ型ロボットにかじられて耳を失ったあと、元気を出そうとして「元気の素」を飲むつもりが間違えて「悲劇の素」を飲んでしまいます。
その影響で三日三晩泣き続け、その震動によって黄色いメッキがはがれ、下にあった青い色が現れました。
さらに泣き続けたことで声もガラガラになり、現在よく知られているドラえもんの姿と声になったという設定です。
藤子・F・不二雄氏も同作について、混乱していたドラえもんの情報をまとめた「決定版」という趣旨のコメントを残しています。
ところが、その後のテレビアニメでは再び「ショックで青ざめた」という方倉設定に近い説明が使われたこともあります。
つまり「ドラえもんが青くなった理由」にはひとつだけの答えがあるのではなく、原作、方倉設定、映画、テレビアニメと、時代によって説明が変化してきたのです。
「129.3」は本当に小学4年生の平均身長が由来なのか

ドラえもんのプロフィールには「129.3」という数字が何度も登場します。
身長129.3cm、体重129.3kgなどが有名です。
さらに資料によっては、跳躍力や走る速度などにも129.3という数字が使われてきました。
そして昔から有名なのが、「連載開始当時の小学4年生の平均身長が129.3cmだったため、ドラえもんも129.3cmになった」という説です。
実際、国立国会図書館が確認した1968年度の学校保健統計では、9歳女子の全国平均身長が129.3cmでした。
そのため数字が一致していること自体は事実です。
ただし、「子どもを見下ろさないため、その平均身長を使った」という説明については、藤子・F・不二雄氏自身の明確な一次資料を確認するのが難しく、後から広まった説明も混ざっています。
したがって、「129.3cmが当時の小学生の平均身長と一致する」ことは事実ですが、「それを理由に設定した」ことは推測でしかありません。
有名すぎて公式設定の由来だと思われている話ほど、調べてみると意外にあいまいなのです。
全45巻を読んでも『ドラえもん』を全部読んだことにはならない
『ドラえもん』の単行本といえば、てんとう虫コミックス全45巻が有名です。
しかし、この45巻には藤子・F・不二雄氏が雑誌で発表したすべての『ドラえもん』が収録されているわけではありません。
学年誌や幼児向け雑誌などには、長い間通常のコミックスに入らなかった作品が数多く存在しました。
そのため45巻をすべて持っていても、まだ読んだことのない『ドラえもん』が存在する可能性があります。
後に刊行された『ドラえもん プラス』には、それまであまり知られていなかった作品が収録されました。
さらに『藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん』全20巻では、通常の単行本に入っていなかった作品まで含めて整理されています。
小学館も大全集について、通常の単行本では読めない作品を多数収録し、『ドラえもん』を完全収録したシリーズと説明しています。
ガチャ子の存在などが長い間あまり知られていなかった理由のひとつも、通常版コミックスに収録されていなかったことでした。
『ドラえもん』には「最終回」のような話が何度も描かれている
「ドラえもんに最終回はあるのか」という疑問は、昔から何度も語られてきました。
実は藤子・F・不二雄氏自身が、ドラえもんが未来へ帰る話を複数描いています。
1971年の『小学四年生』3月号には「ドラえもん未来へ帰る」。
1972年の『小学四年生』3月号には「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」が掲載されました。
『藤子・F・不二雄大全集』では、この2作品が「最終回<1>」「最終回<2>」として整理されています。
当時の『ドラえもん』は学年誌で連載されていたため、読者が学年を終える3月号で、一度物語に区切りを付ける必要があったことが背景にあります。
そして1974年には、現在でも特に有名な「さようなら、ドラえもん」が描かれました。
ジャイアンに一人で立ち向かったのび太が、自分だけでもやっていける姿をドラえもんに見せ、未来へ送り出す物語です。
しかし翌月には「帰ってきたドラえもん」が掲載されました。
単行本では6巻と7巻に分かれているため長い別れのように感じますが、雑誌掲載ではわずか1か月後の復帰だったのです。
その後も『ドラえもん』は描き続けられました。
そのため現在知られているシリーズ全体に、「これが恒久的な最終回」という作品は残されていません。
公式ではない、偽物の「最終回」が約1万3000部も売れた

『ドラえもん』には数多くの「最終回」が都市伝説として語られていますが、その中でも特に有名なのが「ドラえもんのバッテリー切れ」です。
ある日、ドラえもんが突然動かなくなってしまいます。
原因はバッテリー切れ。
修理をするとメモリーが消去されてのび太と過ごした思い出がすべて消えてしまうため、のび太はドラえもんをそのまま眠らせることを選びました。
そしてドラえもんを自分の力で直すため、それまで苦手だった勉強に本気で取り組みます。
年月が流れ、大人になったのび太は優秀なロボット研究者へ成長。
ついに記憶を残したままドラえもんを再び動かすことに成功する、という感動的な物語です。
しかし、これは藤子・F・不二雄氏が描いた公式の最終回ではありません。
もともとは1998年ごろにインターネット上で公開されたファンによる創作で、その物語をもとに別の人物が同人漫画として作品化しました。
完成度が非常に高かったことから口コミで広まり、同人誌として約1万3000部も販売される異例の人気となります。
一部では「これが本当のドラえもん最終回ではないか」と信じる人まで現れました。
しかし販売規模が大きくなったことで、小学館と藤子プロは著作権上の問題を指摘。
2006年には作者へ警告を行い、その後作者は謝罪し、販売をやめています。
ファンが作った都市伝説が、本物と間違われるほど広まり、ついには権利者まで動く事態になったという、『ドラえもん』史でも珍しい出来事です。
正直言うと、公式ではないのにあれほど泣ける最終回が生みだされたことこそ「ドラえもん」が日本中の人々に愛された証なのだと思います。
幻の放送「タレント」と「行かなきゃ」は本当に存在したのか
アニメ版『ドラえもん』にも、有名な都市伝説があります。
代表的なのが、謎の放送回「タレント」です。
1984年7月20日ごろに放送され、いつもとは違う作画のドラえもんとのび太が奇妙な地下世界を歩いていく、不気味な内容だったと語られています。
しかし、1984年7月20日の放送記録では「のび太の童話旅行」と「四次元ポケットのスペア」が放送されており、「タレント」という作品は確認できません。
ネット上で具体的な場面まで語られるようになったものの、少なくとも公式の放送記録から存在を確認できる作品ではないのです。
もうひとつ有名なのが「行かなきゃ」と呼ばれる映像です。
藤子・F・不二雄氏が逝去した1996年9月23日ごろの深夜、突然ドラえもんの短い映像が流れ、最後に「行かなきゃ……」と話して終わったという噂が広まりました。
藤子・F・不二雄氏への追悼映像だった、本人が生前に用意していた映像だったなど、さまざまな説があります。
ところが2023年、テレビ朝日の広報部がこの噂について問い合わせを受け、「そのような放送はしていない」と回答しました。
つまり「行かなきゃ」は、少なくともテレビ朝日が認めた公式の映像ではありません。
『ドラえもん』ほど多くの人が同じ作品を見て育ったからこそ、誰かの記憶や噂が別の人の記憶と結びつき、本当に存在した番組のように語られるようになったのかもしれません。
ドラえもんの裏設定まとめ
『ドラえもん』の裏設定を調べていくと、藤子・F・不二雄氏が描いた原作だけでは説明できない設定が数多く見つかります。
特に重要なのが、『ドラえもん百科』を描いた方倉陽二氏による「方倉設定」です。
ドラミとのオイルの違いや、ドラえもんが青くなった理由など、現在でも有名な話の中に方倉氏が考えた設定が含まれています。
一方、幻のキャラクターだったガチャ子や、作者自身にも忘れられていたスネツグなど、長期連載だからこそ生まれた設定変更もありました。
そして『ドラえもん』には明確な恒久的最終回が残されていないため、「ドラえもんが動かなくなる最終回」や「行かなきゃ」のような都市伝説まで生まれています。
どこまでが藤子・F・不二雄氏の原作で、どこからが後に加えられた設定なのか。
その境界を知ってから読み返すと、昔から知っている『ドラえもん』が少し違って見えてくるのではないでしょうか。





















