『ブラック・ジャック』は、手塚治虫氏を代表する作品のひとつです。
天才的な腕を持ちながら医師免許を持たず、高額な治療費を要求するブラック・ジャック。
顔の傷や白黒の髪、ピノコとの暮らしなど、細かな設定まで最初から作り込まれていたように見えます。
ところが実際には、現在では当たり前になっている設定の多くが、連載開始後に作られたものでした。
さらに、わずか数回で終わる予定だったことや、最初の人気がほぼ最下位だったことなど、現在の人気からは想像しにくい制作秘話も残されています。
今回は、原作だけでは分からない『ブラック・ジャック』の裏設定や制作秘話を紹介します。

手塚治虫氏の名作『ブラック・ジャック』をじっくり楽しめる豪華版・全17巻セット。
天才外科医ブラック・ジャックが向き合うさまざまな患者と人生を通して、命や医療、人間の心を深く描いた作品です。
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『ブラック・ジャック』はわずか5回で終わる予定だった

現在では手塚治虫氏の代表作ですが、最初から長期連載として企画された作品ではありません。
手塚治虫氏自身によると、当初は5回ほどで終わる短期連載の予定でした。
初代担当編集者の岡本三司氏も「4、5回連載」の予定だったと証言しています。
つまり現在知られているブラック・ジャックの過去や人間関係まで、最初から細かく作られていたわけではありません。
手塚治虫氏は、5回だけでは主人公の身の上や性格まで描き切れないため、「どこかで奇跡を起こしている謎の医師」という形で終わらせるつもりだったと振り返っています。
連載開始時のブラック・ジャックは、本当に正体不明の怪人物だったのです。
最初に考えられていた結末は「無人島」だった
短期連載だったころには、現在とはまったく違う終わり方も考えられていました。
岡本三司氏によると、当初の予定では4~5回ほど連載したあと、ブラック・ジャックが「無人島に行ってエンディング」となる構想だったそうです。
詳しい内容までは残されていませんが、ブラック・ジャックが人々の前から姿を消し、謎の医師のまま物語を終える予定だったと考えられます。
もし予定どおり終了していれば、ピノコやドクター・キリコとの出会いもなく、現在知られている『ブラック・ジャック』とはまったく違う作品になっていました。
「漫画家生活30周年」は本当は30周年ではなかった
『ブラック・ジャック』は「漫画家生活30周年記念・手塚治虫ワンマン劇場」という企画として始まりました。
ところが手塚治虫氏がプロとしてデビューしたのは1946年です。
連載開始は1973年なので、計算するとまだ27年ほどしか経っていません。
本当の30周年にあたるのは1976年です。
手塚治虫公式サイトでは、この「30周年」という看板について、当時すでに大御所だった手塚治虫氏を立てるための意味合いがあったと説明されています。
記念作品という華やかな看板の裏では、長期連載になることさえ期待されていなかったのです。
連載開始時の手塚治虫氏は大きな低迷期にいた
『ブラック・ジャック』誕生の背景には、手塚治虫氏の厳しい状況がありました。
1970年代初めには劇画が人気を集め、少年漫画の世界でも新しい作家が次々と登場しています。
その一方、手塚治虫氏は少年誌で長期連載を持つことが少なくなり、自ら100ページほどの原稿を出版社へ持ち込むこともあったそうです。
さらに1973年には虫プロ商事と虫プロダクションが相次いで倒産しました。
まさに大きな転換期に生まれたのが『ブラック・ジャック』だったのです。
後に代表作となる作品は、順風満帆な時期ではなく、手塚治虫氏が漫画家として苦しい状況に置かれていた時期に誕生しました。
医師免許を持つ手塚治虫氏は医者の漫画を描きたがらなかった

手塚治虫氏は医師免許を持っていました。
そのため「医者を主人公にした漫画を描くのは自然な流れだった」と思われがちです。
ところが関係者の証言では、むしろ逆でした。
『週刊少年チャンピオン』編集長だった壁村耐三氏から聞いた話として、手塚治虫氏は医者の漫画について「いつでも描けるテーマ」と考えており、それまで医者を主人公にする提案を受けても乗り気ではなかったと伝えられています。
漫画家として苦しい時期を迎えたことで、ようやく長年温存していた医療という題材に取り組んだと考えられています。
「医師だったからすぐ医療漫画を描いた」のではなく、「医師だったからこそ最後まで取っておいた題材」だったわけです。
連載開始で最初の人気投票はほぼ最下位
『ブラック・ジャック』は、連載開始と同時に大人気になったわけではありません。
第1話は巻頭カラーでもなく、モノクロページだけで始まりました。
さらに読者人気投票では、12~13作品の中で12位。
ほぼ最下位という厳しいスタートでした。
しかし編集長の壁村耐三氏は、早い段階から作品に可能性を感じていたようです。
当初は最終回になる予定だった第4話に巻頭カラー30ページを用意し、連載続行を決めました。
その後人気は上昇し、第50話「めぐり会い」では初めて人気投票2位を記録。
やがて上位の常連作品へと成長していきます。
現在では伝説的な作品ですが、編集部の判断が少し違っていれば、数話だけで終了していた可能性もあったのです。
連載開始からしばらくは「恐怖漫画」ジャンルだった

現在の『ブラック・ジャック』は医療漫画の代表作として知られています。
ところが1974年に発売された少年チャンピオン・コミックス第1巻には、「恐怖コミックス」と書かれていました。
当時の少年漫画には、まだ「医療漫画」というジャンルがほとんど存在していなかったためです。
大きく描かれる手術場面や奇妙な病気、正体不明のブラック・ジャックの雰囲気などから、恐怖漫画に近い作品として扱われていました。
その後、第9巻から「ヒューマンコミックス」に変更されています。
現在なら誰もが医療漫画と呼ぶ作品が、最初は恐怖漫画として売られていたという歴史があったのです。
手塚治虫は医師免許を持ちながら資料として医学書を購入
手塚治虫氏は大阪大学の前身にあたる大阪帝国大学附属医学専門部で学び、医師免許を取得しています。
さらに1961年には医学博士の学位も取得しました。
それだけ医学の知識がありながら、『ブラック・ジャック』を描く際には改めて資料を集めています。
当時のチーフアシスタントだった福元一義氏によると、手塚治虫氏は高価な医学書を自分で3冊購入。
その本は連載中ずっと重要な資料として使われました。
さらに病院向けの医療機器カタログまで用意していたそうです。
医師として学んだ経験だけに頼らず、漫画として描くために改めて調べ直していたことが分かります。
医学博士が描いたのに治療法がすべて正確なわけではない
手塚治虫氏が医師免許を持っていたことから、『ブラック・ジャック』に登場する医療はすべて医学的に正確だと思われることがあります。
しかし手塚治虫氏自身が、作中に登場する病気や治療方法には創作も多いことを認めています。
『ブラック・ジャック』は医学の教科書ではなく、命や人間について描く物語だったためです。
一方で、臓器や手術方法の描写、患者への向き合い方などについては、現在でも医師から高く評価される部分があります。
つまり『ブラック・ジャック』は、医学博士の学位を持つ手塚氏の医学知識を土台にしながら、物語として大胆な創作も加えた作品なのです。
意味深な顔の傷もマントもボロ家も最初は理由を考えていなかった
ブラック・ジャックといえば、顔の大きな傷、左右で色の違う皮膚、白黒の髪、蝶ネクタイ、黒いマントなど、特徴だらけの姿をしています。
しかも大金を受け取る医師なのに、海辺の古びた家で暮らしています。
何か深い過去があって作られた設定に見えます。
ところが手塚治虫氏によると、連載開始時にはこうした特徴の理由をほとんど考えていなかったそうです。
短期連載の予定だったため、主人公を印象的に見せるデザインが先にあり、詳しい事情は後から作られました。
物語が続いたことで、顔の皮膚や傷、過去の事故などに少しずつ理由が与えられていったのです。
白黒の髪は「事故のショック」ではなく最初はただのツヤだった
ブラック・ジャックの外見で特に有名なのが、黒髪の中に大きく入った白い部分です。
後には幼少期の事故が関係する設定として描かれるようになります。
しかし連載開始時は違いました。
手塚治虫氏自身が、白い部分は「最初はただの光のツヤだった」と明かしています。
つまり白髪を表していたわけではありません。
漫画の絵として髪に入れた白い光沢が、そのままキャラクターの特徴として定着し、後から物語上の意味が作られたことになります。
ブラック・ジャックを象徴するデザインのひとつが偶然から生まれたという、特に面白い裏話です。
ピノコもキリコも最初から考えられていなかった
現在ではブラック・ジャックに欠かせないピノコやドクター・キリコ。
恩師の本間教授や女医の桑田このみなども、作品を代表する人物です。
しかし手塚治虫氏によると、こうした人物は連載開始前から用意されていたわけではありません。
物語を続けながら、そのつど加えていったキャラクターでした。
ピノコが初めて登場したのも、第12話「畸形嚢腫」です。
連載が長期化したことでブラック・ジャックの生活や過去、人間関係が少しずつ広がり、現在知られている世界が完成していきました。
細かな設定を最初にすべて決めるのではなく、連載しながら作品そのものを成長させていたのです。
「ブラック・ジャック」はカードゲームから付けた名前ではない
「ブラックジャック」と聞けば、トランプを使ったカードゲームを思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし作品名は、カードゲームとは関係ありません。
手塚治虫氏は初期の単行本で、海賊を思わせる荒っぽいイメージから名付けたと説明しています。
高額な料金を要求し、メス一本で患者に向き合う主人公を、荒々しい海賊のような存在として表した名前でした。
しかも担当編集者の岡本三司氏は、手塚治虫氏から「ブラック・ジャック」というタイトルを聞いたとき、作品名だとは思わなかったそうです。
「サブタイトルではなく本タイトルを」と聞き返したほどでした。
後に世界的に知られるタイトルも、当時の編集者には意外な名前だったのです。
他の手塚作品の人物が登場するのには理由があった
『ブラック・ジャック』には、『リボンの騎士』のサファイアや『どろろ』など、別の手塚作品で見たような人物が数多く登場します。
これは作品世界がすべてつながっているという意味ではありません。
手塚治虫氏には、同じキャラクターを俳優のように別作品へ出演させる「スター・システム」という方法がありました。
さらに『ブラック・ジャック』自体が、当初は「手塚治虫ワンマン劇場」として、手塚作品のキャラクターが総出演する企画でもありました。
そのため別作品で主役だった人物が、患者や医師、脇役として突然登場することがあります。
同じ顔でも必ずしも同一人物ではなく、「手塚漫画の俳優が別の役を演じている」と考えると分かりやすいかもしれません。
ブラック・ジャックには現在も読めない「幻の3作品」がある
『ブラック・ジャック』全243話のうち、手塚プロダクションが現在も刊行しない方針を示しているのが「指」「植物人間」「快楽の座」の3作品です。
第28話「指」は、ブラック・ジャックの幼なじみ・間久部緑郎が裏社会で生きるため、自分の指紋を変えてほしいと手術を依頼する物語で、後に内容を大きく変えた「刻印」として作り直されました。
第41話「植物人間」は、事故で重い意識障害となった母親に本当に意識が残っていないのかを確かめるため、ブラック・ジャックが母親と息子の脳を電極でつなぎ、意思を伝えられるか試みる物語です。
この作品は完全な未収録ではなく、1975年発売の少年チャンピオン・コミックス第4巻には実際に収録されていましたが、後の版では「からだが石に…」へ差し替えられました。
そして第58話「快楽の座」は、人間の脳に「スチモシーバー」という装置を埋め込み、電気刺激によって感情や行動を変えようとする実験を扱った作品です。
脳や精神へ人為的に手を加えるという、現在読んでもかなり重いテーマを扱っています。
ネット上では、差別表現や医療倫理、当時問題となった精神外科などが未収録の理由だったとする説が広く知られています。
しかし手塚プロダクションは、3作品を刊行しない具体的な理由までは公表していません。
そのため「この表現が原因で封印された」と断定できるわけではなく、現在も詳しい事情が明らかになっていない「幻の3作品」となっています。
雑誌掲載版から内容そのものが変わった作品もある
『ブラック・ジャック』には、単行本へ収録される際にタイトルやセリフを直しただけでなく、物語そのものを大きく描き直した作品もあります。
代表的なのが、第28話「指」を約4年後に作り直した「刻印」で、ブラック・ジャックと幼なじみの間久部緑郎という基本設定を残しながら、大幅な改作が行われました。
また第67話「緑柱石」は単行本化の際に大きく再編集され、ピノコそっくりの少女ロミと公害病をめぐる「ふたりのピノコ」として収録されています。
特に事情がはっきりしているのが、第153話「ある監督の記録」です。
掲載後、障害や脳手術をめぐる描写について抗議を受け、手塚治虫氏と秋田書店が謝罪しました。
その後、患者の病気や手術方法などが大幅に描き直され、現在は「フィルムは二つあった」という題名で収録されています。
さらに、第179話「メス」と第180話「土砂降り」は、単行本では内容をまとめた一つの「土砂降り」として再構成されました。
手塚治虫氏が単行本化の際に作品へ手を入れることは珍しくありませんでしたが、『ブラック・ジャック』の場合、すべての改変が表現上の問題によるものではありません。
物語をより完成させるための描き直し、設定の整理、社会的な指摘を受けて行われた変更など、改変された理由も作品ごとに異なっているのです。
「最終回」のあとにも13作品が描かれていた
1978年9月18日に発表された「人生という名のSL」は、『ブラック・ジャック』の週刊連載を締めくくった作品です。
制作中、手塚治虫氏はアシスタントたちに今回で『ブラック・ジャック』を終えると告げていたことが、福元一義氏の証言として残されています。
ところがブラック・ジャックの物語は、そこで完全に終わりませんでした。
週刊連載終了後にも読み切りとして13作品が追加され、公式には合計243話が描かれています。
そして最後に発表された作品は、1983年10月14日の「オペの順番」です。
つまり「人生という名のSL」は連載としての最終回であり、「オペの順番」は最後に発表された作品ということになります。
一度は終わったはずのブラック・ジャックを、手塚治虫氏はその後も何度も描いていたのです。
ブラック・ジャックの裏設定まとめ
『ブラック・ジャック』は、最初から完成された設定をもとに作られた作品ではありませんでした。
わずか4~5回ほどで終わる予定だったため、ブラック・ジャックの顔の傷や白黒の髪、服装、暮らしている家にさえ詳しい理由はありませんでした。
ピノコやドクター・キリコも後から生まれた人物です。
それでも物語を重ねるたびに新しい設定や人物が加わり、少しずつ現在の『ブラック・ジャック』の世界が形作られていきました。
さらに連載開始時の人気はほぼ最下位で、単行本も「恐怖コミックス」として発売されています。
現在の評価だけを見ると、最初から成功が約束された作品だったように感じますが、実際にはまったく逆だったのです。
漫画家として苦しい時期にいた手塚治虫氏が、長い間温存していた「医療」という題材に挑み、短期企画だった作品を代表作へと育てていきました。
計画どおりではなく、連載の中で変化し続けたからこそ、『ブラック・ジャック』はこれほど奥深い作品になったのかもしれません。

手塚治虫氏の名作『ブラック・ジャック』をじっくり楽しめる豪華版・全17巻セット。
天才外科医ブラック・ジャックが向き合うさまざまな患者と人生を通して、命や医療、人間の心を深く描いた作品です。
名作をまとめて読みたい方や、コレクションとして手元に残したい方におすすめの全巻セットです。





















