【崖の上のポニョ】意外な裏設定15選!あの世説と没エピソードの真相

宮崎駿氏が原作・脚本・監督を務めた『崖の上のポニョ』には、本編を見ただけでは分からない多くの裏設定や制作秘話があります。

なかでも有名なのが、「水没後の町は”あの世”なのではないか」という都市伝説です。

単なるファンの考察にも思えますが、制作途中には本当に「あの世」を描く約20分もの場面が存在していました。

さらに、宗介のモデル、フジモトのモデル、夏目漱石氏やワーグナーから受けた影響など、作品の見方が変わる話が数多く残されています。

今回は、本編を普通に見れば分かる設定は除き、『崖の上のポニョ』の知られざる裏設定と制作秘話を紹介します。

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水没した町は「あの世」だった?

ポニョ

『崖の上のポニョ』でもっとも有名な都市伝説が、「大津波の後の町はあの世なのではないか」という説です。

水没した後も住民たちは不思議なほど落ち着いており、舟に乗って楽しそうに移動しています。

さらに、普段は車いすを使っていた「ひまわりの家」のおばあさんたちが、水中では自分の足で走り回っています。

宗介とポニョが進む海には巨大な古代魚まで現れ、そこまでの日常とはまったく違う世界へ変化しました。

こうした描写から、「住民たちはすでに”あの世”へ移ったのではないか」と考えられるようになりました。

大津波によって住民全員が現世を離れたという公式設定は確認されていませんが、実は制作段階では本当に「あの世」を描く構想が存在していたのです。

そのため、水没後の世界に現実とは異なる世界のイメージが重ねられている可能性はあります。

制作途中には約20分もの「あの世」の場面があった

「あの世説」が単なる都市伝説では終わらない理由が、制作途中に存在した没エピソードです。

鈴木敏夫氏によると、初期の『崖の上のポニョ』には、おばあさんが亡くなった後に「あの世」へ行く展開がありました。

そこには先に亡くなった人々がおり、みんなで酒盛りをしながら踊るという内容だったそうです。

しかも、その場面だけで約20分もあったといいます。

しかし、物語がポニョと宗介から大きく離れてしまうため、最終的には削られました。

完成版では直接「あの世」と分かる場面は消えましたが、そのイメージの一部が水没後の不思議な世界に残っているとも考えられます。

現在まで語り継がれる「あの世説」には、制作途中の構想という意外な背景があったのです。

暗いトンネルは「この世と異界の境界」?

宗介とポニョがリサを探して進む途中には、長く暗いトンネルが登場します。

このトンネルが何を意味するのかは、本編では説明されません。

そのため、「この世と異界を分ける境界ではないか」という考察があります。

特に気になるのが、トンネルへ入ったポニョの変化です。

それまで元気だったポニョは急に弱り、姿も変わっていきます。

宮崎作品では『千と千尋の神隠し』でも、トンネルが日常世界と異世界をつなぐ場所として描かれました。

『崖の上のポニョ』のトンネルについて、宮崎駿氏が「あの世への入口」と明言したわけではありません。

しかし、実際に「あの世」の没構想が存在したことを考えると、トンネルを世界の境界と見る考察には興味深いものがあります。

ポニョにはワーグナーの『ワルキューレ』が重ねられていた

『崖の上のポニョ』には、ドイツの作曲家ワーグナー氏による楽劇『ニーベルングの指環』の影響があります。

特に関係が深いのが、その中の『ワルキューレ』です。

宮崎駿氏は制作中にワーグナーを意識しており、ポニョが巨大な波の上を走って宗介のもとへ向かう場面にも、そのイメージが取り入れられました。

久石譲氏の音楽にも、『ワルキューレ』を思わせる壮大な響きがあります。

さらに、父の意思に逆らって自分の意志で大切な相手のもとへ向かうという物語にも、共通する部分が見られます。

かわいらしい幼児向け作品のように見える『ポニョ』の裏側には、ヨーロッパの神話や楽劇の世界が重ねられていたのです。

宗介の名前は夏目漱石『門』の主人公が由来

宗介という名前にも意外な元ネタがあります。

宮崎駿氏は『ハウルの動く城』の制作後、夏目漱石氏の作品を読み込んでいました。

漱石氏の小説『門』には、「宗助」という主人公が登場します。

さらに宗助夫婦が暮らしているのは、崖の下にある家です。

「宗助」と「崖」という二つの要素が、『崖の上のポニョ』にも受け継がれています。

名前だけを借りたのではなく、物語の舞台を考える際にも『門』から影響を受けていたことが分かります。

最初のタイトルは『崖の下の宗介』だった

『崖の上のポニョ』というタイトルも、最初から決まっていたわけではありません。

企画段階では『崖の下の宗介』というタイトルが考えられていました。

その後、『崖の上の宗介』という案も生まれます。

この「崖」と「宗介」の組み合わせには、夏目漱石氏の『門』の影響がありました。

しかし制作を続ける中で、宗介よりもポニョの存在感が大きくなっていきます。

そして最終的には、宗介ではなくポニョの名前を前面に出した『崖の上のポニョ』となりました。

タイトルの変化からも、制作途中で作品の中心が変わっていったことが分かります。

宗介には5歳の宮崎吾朗氏が重ねられていた

宗介を作る際、宮崎駿氏が最初に思い浮かべていた人物が、息子の宮崎吾朗氏でした。

鈴木敏夫氏によると、宮崎氏は宗介について「5歳の時の吾朗だ」と話していたそうです。

現在の吾朗氏ではなく、幼かった息子との関係を思い返しながら宗介を作っていたことになります。

ただし、宗介のモデルは一人だけではありません。

制作途中には、スタジオへ遊びに来ていたスタッフの子どもたちも観察しています。

宗介が折り紙をする姿などにも、実際の子どもの行動が取り入れられました。

宗介は宮崎氏の記憶と、目の前にいる子どもたちの姿を組み合わせて生まれたキャラクターだったのです。

フジモトのモデルは作画監督の近藤勝也氏だった

ポニョの父フジモトにも、身近なモデルがいました。

モデルの一人とされているのが、本作で作画監督を務めた近藤勝也氏です。

宮崎駿氏は近藤氏について、「まさにフジモトそのもの」という趣旨の発言をしています。

娘を心配しすぎて空回りしてしまう姿などに、実際の父親を観察した経験が反映されました。

近藤氏は『崖の上のポニョ』の主題歌の作詞も担当しています。

つまりフジモトのモデルとなった人物が、作品を象徴する歌の言葉も作っていたことになります。

ポニョには近藤勝也氏の娘の姿も取り入れられた

フジモトだけでなく、ポニョにも近藤勝也氏の家族が影響しています。

制作ドキュメンタリーでは、宮崎駿氏が近藤氏の娘の動きや表情を観察する様子が残されています。

子ども特有の予想できない動きや表情を、そのままポニョへ取り入れようとしていました。

つまり、

フジモトには父親の近藤氏。

ポニョにはその娘。

という現実の親子が、作品の親子関係へ入り込んでいることになります。

ポニョとフジモトの少しかみ合わないやり取りにも、宮崎氏が身近な親子を観察した経験が生かされていました。

『ポニョ』は『いやいやえん』の映画化から始まった

『崖の上のポニョ』は、最初から現在の物語として企画されたわけではありません。

その出発点の一つとなったのが、中川李枝子氏と大村百合子氏による児童文学『いやいやえん』です。

鈴木敏夫氏によると、『ハウルの動く城』の制作後、次は小さな子どもが楽しめる作品を作ろうという話になりました。

そこで『いやいやえん』を映画にする構想が生まれます。

しかし、その企画はそのまま進まず、宮崎駿氏の中で別の物語へ変化していきました。

最終的に生まれた作品が『崖の上のポニョ』です。

完成版だけを見ても、『いやいやえん』から出発した作品だとはほとんど分かりません。

ポニョは最初「カエル」になる予定だった

さらに初期の構想では、ポニョは魚ですらありませんでした。

宮崎駿氏が最初に考えていたのは「カエル」です。

ブリキのカエルを少年が拾い、そのカエルが人間へ変化するような物語も考えられていました。

しかし、宮崎氏が納得できるカエルのキャラクターを作れず、構想は変わっていきます。

そこから半魚人のような案などを経て、最終的に魚の子・ポニョが誕生しました。

もし初期案が採用されていたら、現在とはまったく違う作品になっていたはずです。

主題歌が映画本編の内容まで変えていた

「ポーニョ ポーニョ ポニョ」で知られる主題歌は、映画完成後に作られたものではありません。

主題歌のCDは、映画公開より前の2007年12月に発売されています。

宮崎駿氏は完成した曲を非常に気に入り、エンディングで使用することを決めました。

ところが、それによって本編にも影響が出ました。

鈴木敏夫氏によると、最後に明るい主題歌が流れても違和感がないように、宮崎氏は物語そのものにも手を加えていったそうです。

一般的には映画に合わせて主題歌を作ることが多いですが、『ポニョ』では逆に歌が映画へ影響を与えました。

宮崎作品でも珍しい制作過程だったといわれています。

「海のおかあさん」は別の詩から生まれた

映画の冒頭で流れる「海のおかあさん」にも元になった作品があります。

宮崎駿氏は、「海を舞台にした歌」ではなく、「海そのものを歌った歌」を作りたいと考えていました。

そこで出会ったのが、覚和歌子氏の詩「さかな」です。

宮崎氏はこの詩から強い影響を受け、「海のおかあさん」の歌詞を作りました。

作品全体にある「生命は海から生まれた」というイメージは、映像だけでなく音楽にもつながっています。

映画冒頭の曲にも、別作品から受けた影響が隠されていたのです。

舞台は鞆の浦そのものではない

『崖の上のポニョ』の舞台として有名なのが、広島県福山市の鞆の浦です。

宮崎駿氏は制作前にこの地域で過ごし、港町や海の景色から多くの影響を受けました。

そのため、「ポニョの舞台は鞆の浦」と紹介されることもあります。

しかし、スタジオジブリは鞆の浦について、「舞台」ではなく「大いに参考にした場所」と説明しています。

つまり宗介の家や町が、実在する鞆の浦をそのまま再現したものではありません。

宮崎氏が実際に見た風景や感じた空気を組み合わせ、架空の町として作り直したのです。

CGを避け、約17万枚もの絵を手描きした

『崖の上のポニョ』は、映像の作り方もそれまでの作品とは大きく違いました。

宮崎駿氏はCGに頼る方法から離れ、鉛筆による手描きを重視しました。

その結果、作品で使われた絵は約17万枚に達したとされています。

当時の宮崎駿作品としては、非常に多い作画枚数でした。

特に特徴的なのが海の表現です。

現実の水を正確に再現するのではなく、波そのものが生き物のように動きます。

大量の水が巨大な魚のようになってポニョを運ぶ場面も、手描きならではの自由な動きです。

『ポニョ』の少し不思議で生命力のある映像は、あえて手描きへ戻ったことで生まれていました。

崖の上のポニョの裏設定まとめ

『崖の上のポニョ』には、本編だけでは分からない多くの裏設定や制作秘話が隠されています。

なかでも印象的なのが、水没後の世界をめぐる「あの世説」です。

住民全員が現世を離れたという公式設定はありませんが、制作途中には本当に「あの世」を描いた約20分もの場面が存在していました。

さらに、ワーグナーの『ワルキューレ』、夏目漱石氏の『門』、児童文学『いやいやえん』など、意外な作品からも影響を受けています。

宗介には幼い宮崎吾朗氏、フジモトには近藤勝也氏、ポニョには近藤氏の娘の姿まで取り入れられていました。

完成した作品はシンプルに見えますが、その裏側には文学、音楽、宮崎氏の家族、スタッフの家族まで入り込んでいます。

こうした背景を知ったうえでもう一度見ると、水没した町や暗いトンネル、ポニョの動きなど、これまで何気なく見ていた場面にも違った意味が見えてくるかもしれません。

崖の上のポニョ DVD

海辺の町を舞台に、少年・宗介と不思議な女の子ポニョの出会いを描いた宮崎駿監督の名作アニメーション。
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この記事を書いた人

クロックフォードクロックフォード

探偵のエドガー・クロックフォードです。
裏設定ファイルでは、世の中の様々な物語の裏設定や都市伝説をまとめています。
公式の発表を中心に、噂の真相や有力な考察なども紹介しますので、どうぞお楽しみください。

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