『鉄腕アトム』は、日本を代表する漫画・アニメ作品のひとつです。
10万馬力で空を飛ぶ少年ロボットというイメージが強いですが、作品の裏側を調べると意外な設定や制作秘話が数多く残されています。
アトムは最初から主人公だったわけではなく、タイトルも現在とは違う名前になる予定でした。
さらに、テレビアニメの有名な最終回で太陽へ向かったアトムには、手塚治虫氏自身が描いた「その後」まで存在します。
今回は、作品を見るだけでは分かりにくい『鉄腕アトム』の裏設定や制作秘話を紹介します。
アトムは最初から主人公ではなかった

現在では手塚治虫氏を代表するキャラクターとなったアトムですが、最初から主人公として生まれたわけではありません。
アトムが初めて登場したのは、1951年に連載された『アトム大使』です。
この作品ではアトムは登場人物のひとりであり、現在のような主役ではありませんでした。
ところがアトムが読者から人気を集めたことで、アトムを主人公にした新しい漫画が企画されます。
こうして1952年4月から『鉄腕アトム』の連載が始まりました。
つまりアトムは、いわば脇役から主人公へ抜てきされたキャラクターだったのです。
幻のタイトルは『鉄人アトム』
『鉄腕アトム』には、連載開始直前まで別のタイトル案がありました。
その名前は『鉄人アトム』です。
雑誌で次回作を予告する段階では、このタイトルが使われていました。
しかし手塚治虫氏は「鉄人」では重い印象になると考え、『鉄腕アトム』へ変更したと語っています。
現在では「鉄腕」という言葉がアトムそのものを表すほど定着していますが、一歩違えば『鉄人アトム』という名前で知られていた可能性があったのです。
アトムの原型のひとつは女の子型ロボットだった
少年型ロボットとして知られるアトムですが、そのデザインには意外な原型が存在します。
手塚プロダクションによると、アトムの原型のひとつとなったのが『メトロポリス』に登場する空を飛ぶ女の子型ロボットです。
さらに、漫画家の横井福次郎氏が描いた10万馬力のロボット「ペリー」からも影響を受けています。
複数のロボット表現を取り入れながら、手塚治虫氏独自の少年型ロボットとして完成したのがアトムだったのです。
頭の2本の角は手塚治虫氏の髪型が元になった
アトムの頭には、左右に大きく飛び出した2本の角のような部分があります。
しかし、これは角ではありません。
アトムの髪の毛です。
しかも、その形には手塚治虫氏自身が関係していました。
手塚治虫氏は、風呂から上がったあとに自分の耳の上の髪が左右へ跳ねる様子から、アトムの髪型を思いついたと語っています。
初期のアトムを見ると、現在のような硬い角というより、髪の毛らしく少し柔らかく描かれていることもあります。
世界的に有名になったアトムのシルエットは、手塚治虫氏自身の髪型から生まれていたのです。
アトムの電子頭脳は頭ではなく胸にある

アトムの頭の中に電子頭脳が入っていると思われがちですが、実際の設定は違います。
アトムの電子頭脳がある場所は胸です。
胸の中央部分に電子頭脳が入っており、そこがアトムの考えや記憶をつかさどっています。
そのため、作品では頭部に大きな損傷を受けても、電子頭脳が無事ならアトム自身は存在できるという設定になっています。
人間の感覚では「頭=脳」と考えてしまうため、意外に知られていない設定です。
アトムには善人と悪人を見分ける能力がある
アトムには空を飛ぶ能力や10万馬力の力だけではなく、かなり変わった機能があります。
それが「善人と悪人を見分ける能力」です。
原作でも、この能力を使って人間が善人なのか悪人なのかを判断する場面が登場します。
現代の感覚では、機械が人間の善悪を判断するという設定はかなり大胆です。
人工知能が人間を判断することの難しさが注目される現在から見ると、非常に先を行った発想だったともいえます。
お尻のマシンガンはお茶の水博士の後付けだった
アトムの武器として有名なのが、お尻から出る二連式マシンガンです。
実は、この武器はアトムを作った天馬博士が最初から装備させたものではありません。
アトムを引き取ったお茶の水博士が、護身用として後から追加した装備です。
つまり現在知られているアトムの能力のすべてが、天馬博士によって作られたわけではありません。
お茶の水博士もアトムの体に手を加え、より安全に活動できるよう改良していたのです。
明るい科学未来を称賛するだけの作品ではなかった
『鉄腕アトム』には、高層ビルや空飛ぶ乗り物、ロボットなどが登場します。
そのため、科学技術が発達した明るい未来を描いた作品という印象を持たれやすくなっています。
しかし、手塚治虫氏が描こうとしていたのは単純な科学礼賛ではありません。
作品では、人間とロボットの差別や争い、科学技術を使う人間側の問題が繰り返し描かれています。
高性能なアトムでさえ、「ロボットだから」という理由で人間と同じ扱いを受けられないことがあります。
科学が発達すれば人間は幸せになれるのか。
人間とロボットは本当に共存できるのか。
『鉄腕アトム』には、子ども向けのヒーロー作品だけでは終わらない問いが隠されていました。
日本初の毎週30分アニメを支えた「動かさない技法」
1963年に始まったテレビアニメ『鉄腕アトム』は、日本初の本格的な毎週放送の30分テレビアニメとして知られています。
しかし当時の制作環境で、毎週大量の絵を描き続けることは簡単ではありませんでした。
そこで虫プロダクションでは、必要な部分だけを動かす方法が積極的に使われます。
口だけを動かす。
目だけを動かす。
人物を止めたまま背景を動かす。
同じ絵を何度も使う。
こうした方法によって、限られた人数と時間でも毎週放送できる仕組みを作りました。
現在の日本アニメにつながるリミテッドアニメーションの発展に、『鉄腕アトム』は大きな役割を果たしたのです。
有名な「1話55万円説」は単純ではなかった
『鉄腕アトム』の制作費には有名な話があります。
手塚治虫氏がテレビ局に対して、1話55万円という非常に低い金額でアニメ制作を引き受けたというものです。
この話から、「手塚治虫氏が日本アニメの制作費を安くしてしまった」と語られることもあります。
しかし、その後の研究や関係者の証言から、実際の仕組みはもっと複雑だったことが分かっています。
代理店からの補てんなどもあり、虫プロに入った金額が常に55万円だけだったわけではありません。
さらに放送が続くにつれて制作費は上昇し、後期には当初よりかなり高い金額になっていたとされています。
「ずっと1話55万円で作っていた」というイメージは、実際の制作事情をかなり単純化したものなのです。
『青騎士』には若き日の富野由悠季氏が参加していた
『鉄腕アトム』には、後の日本アニメ界を代表する人物も参加しています。
そのひとりが『機動戦士ガンダム』で知られる富野由悠季氏です。
当時は富野喜幸の名前で活動していました。
1966年に放送された「青騎士」前編では脚本と演出、後編では演出を担当しています。
富野由悠季氏は『青騎士』以外の回にも参加しており、『鉄腕アトム』は後のアニメ界を支える人材が経験を積む場所にもなっていました。
『鉄腕アトム』と『機動戦士ガンダム』はまったく違う作品に見えますが、日本アニメの歴史ではしっかりとつながっているのです。
太陽へ向かう最終回は手塚治虫氏自身が作っていた
1963年版アニメの最終話は、第193話「地球最大の冒険」です。
地球を危機から救うため、アトムが太陽へ向かうという非常に印象的な内容でした。
この最終回について、アニメスタッフが悲しい結末を勝手に作ったと思われることがあります。
しかし実際には違います。
「地球最大の冒険」は、手塚治虫氏自身が脚本と演出を担当しました。
つまり、アトムが太陽へ向かう結末には原作者自身が深く関わっていたのです。
なお、この太陽へ向かう場面は原作漫画の最終回ではなく、1963年版テレビアニメの最終回です。
太陽へ消えたアトムは実は助かっていた
1963年版アニメの最終回だけを見ると、アトムは太陽へ消えてしまったように見えます。
しかし、アトムの物語はそこで完全に終わっていません。
1972年に手塚治虫氏が描いた『アトム還る』では、テレビアニメ最終回の「その後」が描かれています。
太陽へ向かったアトムは完全には失われておらず、鉄のかけらと一体になった状態で宇宙空間を漂っていました。
そこへ現れたのが、三つ目の宇宙人「ルルル星人」です。
ルルル星人はアトムを回収し、修理します。
あの有名な最終回の後、アトムは宇宙人によって助けられていたのです。
ファンが作った都市伝説ではなく、手塚治虫氏自身が描いた正式な作品です。
復活したアトムは以前より高性能になっていた
『アトム還る』で修理されたアトムは、単に元の体へ戻されたわけではありません。
ルルル星人の技術によって、以前より高性能なロボットとしてよみがえっています。
さらに、少女ロボットのスピカとともに地球へ戻ることになります。
ところが、ここでもすんなり元の生活には戻れません。
時間航行の設定に問題が起きたことで、アトムたちは本来帰るはずだった世界とは違う場所へ到着してしまいます。
「太陽から助かって、めでたく元の生活へ戻った」という単純な後日談ではなかったのです。
アトムには複数の「その後」が存在する
『鉄腕アトム』で特にややこしく、同時に面白いのが結末です。
手塚治虫氏は、アトムの未来をひとつだけに固定しませんでした。
1970年には『アトムの最後』が発表されています。
この作品では、アトムが活躍した時代よりさらに先の未来が描かれ、かつての英雄アトムはロボット博物館で眠っています。
1972年には、太陽へ向かったアトムのその後を描いた『アトム還る』が登場しました。
さらに1975年には『アトム二世』が描かれています。
『アトム二世』でも、太陽へ向かったアトムがその後も存在していることが物語の出発点になっています。
これらはすべて同じ時間軸の一本の物語として続いているわけではありません。
手塚治虫氏は、その時々で異なる「アトムの未来」を描いていたのです。
そのため『鉄腕アトム』には、ひとつだけではない複数の結末や未来が存在しています。
鉄腕アトムの裏設定まとめ

『鉄腕アトム』は、単純なロボットヒーロー作品ではありません。
もともとは別作品の脇役として誕生し、『鉄人アトム』という幻のタイトルを経て、現在のアトムが完成しました。
電子頭脳が胸にあったり、お尻のマシンガンがお茶の水博士による後付けだったりと、体の構造にも意外な設定があります。
制作の裏側を見ると、毎週30分のテレビアニメを成立させるために新しい表現方法が生み出され、若き日の富野由悠季氏をはじめ、後のアニメ界につながる人材も参加していました。
そして最も印象的なのが、太陽へ向かったアトムのその後です。
有名なテレビアニメ最終回で物語が完全に終わったわけではなく、手塚治虫氏自身がアトムの復活や異なる未来を何度も描いています。
ひとつの決まった未来だけを描かず、何度でもアトムの可能性を描き直したところにも、『鉄腕アトム』という作品の奥深さが表れています。





















