史村翔氏原作、池上遼一氏作画の『サンクチュアリ』は、1990年から『ビッグコミックスペリオール』で連載された社会派漫画です。
北条彰は裏社会から、浅見千秋は政治の世界から日本を変えようとし、二人がそれぞれの頂点を目指していきます。
政治と裏社会を描いた緻密な作品だけに、細かな取材や長期間の構想をもとに作られたように見えます。
ところが史村翔氏本人の話を調べると、実際の制作方法はかなり違っていました。
カンボジアでの過去は後から生まれ、浅見の病にも意外すぎる制作事情が隠されています。
今回は『サンクチュアリ』を読んだ人でも知らないかもしれない裏設定や制作秘話を紹介します。
浅見の病は連載を終わらせるために生まれた

物語の終盤を大きく動かすのが、浅見千秋の病です。
残された時間が少なくなったことで、北条も二人の夢をより早く実現しようと動き始めます。
最初から計算されていた展開のように見えますが、実は浅見の病は当初の構想にはありませんでした。
史村翔氏は連載途中で物語の続きを考えることがつらくなり、一度作品から離れています。
その後、再開しようとしたところ、担当編集者が史村氏にとって苦手な人物へ変わっていました。
そこで史村氏は連載そのものを終わらせようと考え、浅見を病気にして物語を先へ進められない状態にしようとしたそうです。
しかし編集長との話し合いによって担当者が変更され、連載はそのまま続くことになりました。
すると皮肉なことに、浅見に残された時間が設定されたことで物語の進む方向が見えるようになります。
北条が急いで夢を実現しなければならない理由も生まれ、終盤の緊張感へとつながりました。
最初は連載を終わらせるために追加された設定が、結果として『サンクチュアリ』の結末を支える重要な要素になったのです。
北条と浅見のカンボジア時代は後付けだった
北条と浅見が少年時代にカンボジアで過酷な経験をしたことは、二人の考え方を理解するうえで欠かせない設定です。
極限の状況を生き抜いた二人だからこそ、日本を本気で変えようとする強さを持っているように描かれています。
しかし、このカンボジア時代も最初から決められていたわけではありません。
先に作られたのは、北条と浅見がじゃんけんで人生の進路を決める場面でした。
史村翔氏はその場面を書いたあと、「じゃんけんで人生を決められる二人なら、過去に相当な経験をしているはず」と考えたそうです。
そこで思いついたのがカンボジアでした。
現在の二人を作るために過去を決めたのではなく、先に二人の行動を描き、その行動に説得力を持たせるため後から過去を作ったのです。
非常に重要な設定だけに、後付けだったことを知ると驚かされます。
カンボジア設定には史村翔氏自身の体験が使われている
カンボジアという舞台が選ばれたのは、完全な想像ではありません。
史村翔氏は『サンクチュアリ』連載開始のおよそ3年前にカンボジアを訪れていました。
当時の刑場跡にも実際に足を運び、争いによって多くの命が奪われた痕跡を目の当たりにしています。
この経験が強く記憶に残っていたため、北条と浅見の過去を考えたときにカンボジアが浮かびました。
史村氏は、人物の現在だけを書いても人間として軽く見えてしまうと考えていたようです。
「なぜ今の人物になったのか」という過去まで作ることで、人物の言葉に重みを持たせています。
北条と浅見の強い絆も、二人が同じ極限状態を乗り越えたことで説得力を持つようになったのです。
政治家や裏社会への取材をほとんどしていなかった
『サンクチュアリ』の驚くべきところは、政治家同士の駆け引きや裏社会の上下関係が非常にリアルに感じられることです。
そのため、実在する政治家や裏社会の関係者から詳しく話を聞いて作られた作品だと思っている人もいるかもしれません。
ところが史村翔氏は、政治家や裏社会の人物に会って取材したわけではないと明かしています。
担当編集者が資料を用意しても、あまり読まなかったとも語っています。
史村氏の場合、現実を詳しく調べすぎると、その情報に考え方が引っ張られてしまうそうです。
そこで自由に想像し、「本当にありそう」と思わせる世界を作っていました。
現実を忠実に再現したからリアルなのではなく、想像によってリアルに感じる世界を作ったわけです。
『サンクチュアリ』の制作秘話の中でも、特に意外な話ではないでしょうか。
裏社会の上下関係には自衛隊時代の経験が使われた

取材をほとんどしていないにもかかわらず、なぜ裏社会の上下関係を描けたのでしょうか。
そのヒントになったのが、史村翔氏自身の自衛隊経験でした。
史村氏は漫画原作者になる以前、航空自衛隊に約7年間所属しています。
史村氏によれば、上の立場からの命令に従わなければならない縦社会の感覚が、裏社会を想像するときに役立ったそうです。
表向きは命令を受け入れながらも、心の中では強く反発している。
そうした理不尽な人間関係を、自分が経験した組織の空気から想像できました。
もちろん自衛隊と裏社会が同じという意味ではありません。
史村氏自身が知っていた「厳しい上下関係」を物語作りの材料にしたということです。
取材ではなく人生経験が作品のリアルさにつながっていました。
伊佐岡幹事長のモデルは金丸信氏だった
北条と浅見の前に立ちはだかる大物政治家が、伊佐岡紀元です。
伊佐岡については、史村翔氏自身が実在した政治家の金丸信氏をモデルにしたと明かしています。
金丸氏は当時、政界に大きな影響力を持ち、「政界のドン」とも呼ばれた人物でした。
ただし史村氏が金丸氏を詳しく取材し、そのまま伊佐岡にしたわけではありません。
伊佐岡には、北条と浅見をさらに大きな人物へ成長させる役割がありました。
史村氏は「強い敵がいるほど主人公も魅力的になる」という考えを持っています。
小さな相手に勝っているだけでは、北条と浅見も小さな人物に見えてしまいます。
そこで二人の前に政界の巨大な壁として伊佐岡を置き、主人公側の器も大きく見せたのです。
伊佐岡が強烈な存在感を持っているのには、こうした人物作りの狙いがありました。
「政治と裏社会」の組み合わせは居酒屋で決まった

政治と裏社会という二つの世界を同時に描く『サンクチュアリ』の構成は、長期間かけて考えられた企画のように見えます。
実際には、作品の基本となるアイデアはかなり早い段階で決まっていました。
1990年、池上遼一氏の仕事が空いたことを知った編集者が史村翔氏に声をかけます。
池上氏の絵で作品を書きたいと考えていた史村氏は、その誘いをすぐに受けました。
その後、池袋の居酒屋で編集者たちと新作について話し合います。
史村氏が「政治もの」を提案すると、政治だけでは難しくなりすぎるという話になりました。
そこで史村氏が、自分の得意分野である裏社会を組み合わせることを提案します。
こうして「政治の世界と裏社会の世界を二人の主人公が登っていく」という『サンクチュアリ』の基本形が決まりました。
壮大な物語の出発点は、意外にも居酒屋で行われた打ち合わせだったのです。
池上遼一氏とは以前にも二度組んでいた
『サンクチュアリ』は史村翔氏と池上遼一氏を代表する作品ですが、二人が初めて組んだ漫画ではありません。
二人は1979年に読み切り作品『傷痕 THE SCAR』を手掛けています。
史村氏は池上氏の絵に強くほれ込み、かなり力を入れた原作を書きました。
ところが内容をめぐって小学館側から強く注意される結果となります。
その後、二人は『週刊少年サンデー』でも再び組みましたが、大きな反響にはつながりませんでした。
それからしばらく二人は離れていましたが、1990年に池上氏の仕事が空いたことをきっかけに再び組むことになります。
過去二度の組み合わせが大成功とはならなかったあと、三度目の本格的な挑戦から誕生したのが『サンクチュアリ』だったのです。
史村氏にとっては、長年「池上遼一氏の絵で物語を書きたい」と考え続けた末に実現した作品でもありました。
原作者と作画担当なのにほとんど直接話していなかった
『サンクチュアリ』ほど原作と絵が一体になった作品を見ると、史村翔氏と池上遼一氏が細かく打ち合わせを重ねていたように思えます。
実際には正反対でした。
史村氏によると、池上氏と会うのは年に2回ほどパーティーで顔を合わせる程度だったそうです。
連載中のやり取りも基本的には編集者を通して行われ、史村氏は池上氏の電話番号すら知らなかったと話しています。
史村氏は物語を作り、池上氏は絵を描く。
互いに相手の仕事を信頼し、自分の担当ではない部分へ必要以上に入り込まないという関係でした。
作品について直接話し合う機会が少なかったにもかかわらず、北条や浅見たちがあれほど強い存在感を持って描かれたのです。
二人の距離の取り方そのものが、『サンクチュアリ』の制作方法だったともいえます。
史村翔氏は連載途中で作品から離れていた
『サンクチュアリ』は順調に最後まで書かれたわけではありません。
物語が盛り上がってきた時期、史村翔氏は続きを考え続けることに大きな負担を感じるようになりました。
このまま続ければ限界を迎えると考え、連載を休むことになります。
史村氏は北海道にある知人の牧場へ向かい、馬房の掃除などの仕事をしながら漫画から離れました。
朝起きて夜に眠る規則正しい生活を続けるうちに、少しずつ調子を取り戻したそうです。
本人の回想では、数か月ほどでかなり回復しています。
この経験から「行き詰まったら戻れる場所がある」と思えるようになり、その後の仕事にも良い影響を与えました。
ところが連載再開から数か月後には、今度は池上遼一氏が体調を崩します。
池上氏は約2か月後に復帰し、二人は最終回まで作品を完成させました。
『サンクチュアリ』は、原作と作画の両方に大きな危機がありながら完成した作品だったのです。
原作者「史村翔」は北斗の拳の原作者「武論尊」と同一人物
実は、『北斗の拳』の原作者として知られる武論尊氏と『サンクチュアリ』の原作者・史村翔氏は同一人物です。
そのため「なぜ作品によって名前を変えているのか」と疑問に思う人もいるでしょう。
「武論尊は少年漫画用、史村翔は社会派漫画用」と考えられることもありますが、もともとの理由は作品ジャンルの違いではありません。
武論尊氏が集英社以外の出版社でも仕事をするようになり、別のペンネームが必要になったことがきっかけでした。
そこで講談社の編集者が、本名の「OKAMURA YOSHIYUKI」というアルファベットを組み替え、「SHIMURA SYO」という名前を作ったそうです。
そこに漢字を当てて「史村翔」が誕生しました。
結果として『ファントム無頼』や『サンクチュアリ』など、史村翔名義にも数多くの代表作が生まれています。
社会派作品を書くために最初から用意された名前ではなかったという点は、意外な裏話です。
若者を選挙へ向かわせたいという思いが込められていた
『サンクチュアリ』には、北条と浅見が日本を変えるという大きな物語とは別に、史村翔氏自身の問題意識も込められていました。
連載が始まった1990年ごろ、日本はバブル景気の中にありました。
史村氏は、若者がローンで高価な車やゴルフ用品を買う姿などを見ながら、「このままで大丈夫なのか」と感じていたそうです。
豊かさの中で、日本の将来や政治に関心を持たなくなっていることを心配していました。
そこで『サンクチュアリ』では、北条や浅見が日本を変えようとする姿を描きます。
物語の終盤で若い世代に選挙への参加を呼びかける展開にも、史村氏自身の考えが反映されていました。
一人の一票でも国を変える力になる。
若い人にも日本の未来について考えてほしい。
その思いが、政治家・浅見千秋の物語の奥に込められていたのです。
サンクチュアリの裏設定まとめ
『サンクチュアリ』は、政治と裏社会を細かく調査し、最初から最後まで計算して作られた作品のように見えます。
しかし史村翔氏の証言から見えてくる制作現場は、意外なほど自由でした。
カンボジアという重要な過去さえ後から追加され、政治家や裏社会への本格的な取材もほとんど行われていません。
さらに浅見の病は、当初は物語を終わらせるために加えられた設定でした。
それにもかかわらず、後から生まれた設定同士がうまくつながり、北条と浅見の生き方に強い説得力を与えています。
特に浅見の病は、読者から見ると最初から予定されていた運命のようにも感じられます。
実際には偶然から生まれた設定が物語の重要な柱へ変わったわけです。
『サンクチュアリ』の完成度の高さは、すべてを事前に決めていたからではありません。
人物を動かしながら物語を考え、その場で生まれた設定を大きなドラマへ育てていく史村翔氏の作り方にこそ、この作品の魅力が隠されているのかもしれません。





















