1992年から放送されたアニメ『幽☆遊☆白書』は、今でも高い人気を持つ作品です。
幽助、桑原、蔵馬、飛影の4人はもちろん、戸愚呂兄弟や仙水など、敵側にも強烈なキャラクターがそろっています。
そんな『幽☆遊☆白書』には、本編を見ているだけでは気づきにくい制作秘話や、原作漫画だけで明かされた意外な事実があります。
さらに、長年ファンの間で語られてきた噂について、冨樫義博氏本人が答えているものも少なくありません。
今回は、『幽☆遊☆白書』を知っている人ほど面白く感じられる裏設定を紹介します。
霊丸の発想には『コブラ』のサイコガンが関係していた

幽助を代表する必殺技といえば、指先から霊気を放つ「霊丸(れいガン)」です。
実はこの技には、冨樫義博氏が好きだった漫画『コブラ』の影響がうかがえます。
幽☆遊☆白書 公式キャラクターズブック『霊界紳士録』で冨樫義博氏は、霊丸について「光線銃と超常的な力を組み合わせたような名前を考えた」という趣旨の説明をしています。
さらに、寺沢武一氏の『コブラ』が好きで、主人公コブラが使う「サイコガン」にも触れています。
サイコガンは腕から精神エネルギーを放つ武器で、幽助の霊丸とは仕組みこそ違うものの、「自分の力を銃のように撃ち出す」というイメージには共通点があります。
また、「霊丸」を「れいがん」と読む名前そのものにも言葉遊びがあります。
「霊」という超常的な力を表す言葉と、銃を意味する「ガン」を組み合わせた名前であり、「ray gun(光線銃)」を思わせる響きにもなっています。
現在では少年漫画を代表する必殺技の一つになった霊丸ですが、その背景には冨樫義博氏が好きだったSF漫画や光線銃のイメージがあったようです。
飛影は最初から仲間になる予定ではなかった
今では幽助、桑原、蔵馬と並ぶ主要キャラクターとなっている飛影ですが、最初から仲間になることが決まっていたわけではありません。
冨樫義博氏と岸本斉史氏の対談によると、蔵馬については仲間にすることを考えていたものの、飛影についてはまだ決めていなかったそうです。
そこで当時の担当編集者から飛影を仲間にする案が出され、再登場につながりました。
初登場時の飛影は、後のクールな姿とはかなり性格が違います。
さらに邪眼を使った際には全身に大量の目が現れるという、後の人気キャラクターとは思えないほど不気味な姿になりました。
冨樫義博氏自身も、最初から仲間にするつもりなら、あのような姿にはしなかったという趣旨の発言をしています。
飛影の初登場時だけ雰囲気が大きく違うのは、単なる作画や性格の変化ではなく、そもそもの役割が違っていたためだったのです。
戸愚呂(弟)の「100%」に細かな数値設定はなかった

戸愚呂(弟)といえば、「30%」「80%」「100%」と数字で強さを表す姿が印象的です。
特に100%になった戸愚呂は、『幽☆遊☆白書』を代表する強敵として知られています。
では、この数字には妖力などを計算した細かな設定があったのでしょうか。
実はそうではありません。
公式キャラクターズブック『霊界紳士録』で冨樫義博氏は、戸愚呂の強さを「大きく、分かりやすく」見せたかったため、筋肉操作を数字で表したという趣旨の説明をしています。
つまり「80%と100%では妖力が何倍になる」といった計算が先にあったわけではなく、読者がひと目で強さを理解できる漫画的な演出だったのです。
そのシンプルな発想から生まれた表現が、現在まで語り継がれる戸愚呂の代名詞になりました。
冨樫義博氏が好きな悪役は戸愚呂兄弟だった
戸愚呂兄弟については、さらに意外な話があります。
公式キャラクターズブックのインタビューで、冨樫義博氏は好きな悪役として戸愚呂兄弟を挙げています。
理由は、兄弟が「根本的に自由」な人物だからという趣旨でした。
特に興味深いのが戸愚呂(弟)です。
戸愚呂は最後に自ら非常に重い罰を選ぶため、「過去を後悔して、自分を罰したかった」と解釈されることがあります。
しかし冨樫義博氏による戸愚呂(弟)の人物設定では、自分の行動を後悔しておらず、すべて自分自身で決めたことだとされています。
つまり戸愚呂は、人生をやり直したかった人物というより、自分で選んだ道の最後まで自分で引き受けた人物だったと考えられます。
この設定を知ると、幻海との最後の会話も少し違って見えてきます。
霊界は妖怪を悪者にするために不正をしていた
アニメだけを見ていると、霊界は基本的に「人間界を妖怪から守る側」に見えます。
しかし原作漫画の終盤では、そのイメージを大きく変える事実が明らかになります。
コエンマが霊界上層部を告発したことで、妖怪に関する資料が大量に書き換えられていたことが判明しました。
さらに、捕らえたD級妖怪を洗脳して人間界で問題を起こさせ、妖怪による犯罪件数を増やしていた疑いまで出てきます。
つまり霊界には、「危険な妖怪から人間を守る」という立場を維持するため、自ら問題を作り出していた一面があったのです。
この事実を知った幽助は、自分が霊界探偵として捕まえてきた妖怪の中にも、霊界に操られていた者がいたのではないかと疑います。
物語の最初から正義の組織のように描かれていた霊界が、最後になって絶対的な正義ではなくなるところは、『幽☆遊☆白書』らしい設定といえるでしょう。
幽助には雷禅とは別に人間の実父がいる
魔界編で幽助の祖先として登場する雷禅を、「幽助の父親」と覚えている人もいるかもしれません。
しかし雷禅は直接の父親ではなく、はるか昔の祖先です。
幽助には、もちろん人間としての実父も存在しています。
しかも原作漫画の終盤では、その父親が実際に登場します。
幽助の母・温子の元夫で、魔界統一トーナメント終了後に温子のもとを訪れています。
ところがテレビアニメでは、このエピソードそのものが描かれていません。
そのためアニメだけを見た人にとって、幽助の人間の父親はほとんど存在しない人物になっています。
物語の主人公でありながら、幽助の実父には最後まで名前すら与えられていないところも不思議な設定です。
「伊達にあの世は見てねぇぜ!」は原作に存在しない
「伊達にあの世は見てねぇぜ!」といえば、幽助を代表する決めゼリフとして有名です。
ゲームなどでも使われているため、原作漫画で幽助が言ったセリフだと思っている人も多いでしょう。
ところが原作には、このセリフは登場しません。
元になったのは、『週刊少年ジャンプ』で行われた第8回キャッチフレーズグランプリへの読者投稿でした。
17歳の女性読者が応募した「ダテにあの世は見ちゃいねぇ!!」という言葉が元になったとされています。
それがアニメやゲームなどで使われるようになり、いつの間にか幽助を象徴する言葉として定着しました。
作品を代表するほど有名なフレーズを、冨樫義博氏ではなく読者が生み出していたという意外な裏話です。
タイトルは『幽☆遊☆記』になる予定だった
『幽☆遊☆白書』というタイトルも、最初から決まっていたわけではありません。
企画段階では『ユーレイ入門』という仮タイトルが使われていました。
その後、冨樫義博氏は妖怪との戦いへ発展することも考えて、『西遊記』をもじった『幽☆遊☆記』という名前を考えます。
ところが同じ『週刊少年ジャンプ』で、漫☆画太郎氏の『珍遊記』の連載が決まっていました。
名前が似てしまうため『幽☆遊☆記』は使わず、最終的に『幽☆遊☆白書』になったと冨樫義博氏は『HUNTER×HUNTER』6巻で説明しています。
「白書」という言葉にも特別な意味が先にあったわけではなく、候補を考えている中で浮かんだ言葉だったようです。
少しタイミングが違えば、『幽☆遊☆白書』ではなく『幽☆遊☆記』として知られる作品になっていた可能性があります。
樹の最後の言葉には冨樫義博氏の本音が入っていた
魔界の扉編の終盤で、仙水を連れて姿を消す樹は、幽助たちに「また別の敵を見つけ戦い続けるがいい」という趣旨の言葉を残します。
このセリフについては、昔からファンの間で「少年漫画が強い敵を次々と登場させることへの皮肉ではないか」と考察されてきました。
実は、この説にはかなり根拠があります。
連載終了後に冨樫義博氏が制作した『ヨシりんでポン!』では、樹の最後の言葉について、当時の自分自身の「血の叫び」が入っていたという趣旨の説明をしています。
暗黒武術会が終われば、さらに強い仙水が現れます。
仙水を越えれば、今度はA級やS級の妖怪が登場します。
敵を倒すたびに次の強敵を用意するバトル漫画の構造に、冨樫義博氏自身が疲れ始めていたことが、樹の言葉にも表れていたようです。
単なる敵キャラクターのセリフだと思って読む場合と、作者自身の言葉だと知ってから読む場合では、印象が大きく変わる場面です。
魔界統一トーナメントの急展開は単純な打ち切りではなかった
魔界統一トーナメントでは、大規模な大会が始まったにもかかわらず、多くの試合が描かれないまま物語が進みます。
そのため長年、「人気が落ちて突然終わらされたのではないか」という説が語られてきました。
しかし冨樫義博氏本人の説明によると、編集部から一方的に終了を告げられたわけではありません。
冨樫義博氏自身が編集部へ終了を頼み込んでおり、終了時期もかなり前から決められていました。
背景には週刊連載による体への負担だけではなく、同じことを繰り返すことへの疲れや、自分一人で原稿を完成させたいという思いなど、複数の理由があったようです。
本人は長い説明の最後を、「わがままでやめました」という非常に短い言葉でまとめています。
魔界統一トーナメントが急速に進んだのは、単純に人気がなくなったからではなく、冨樫義博氏自身が作品を終わらせることを選んだからでした。
アニメでは魔界統一トーナメントが大幅に補完された
原作漫画の魔界統一トーナメントでは、驚くほど多くの試合が省略されています。
幽助対黄泉の戦いさえ詳しい決着まで描かれず、その後の結果がまとめて語られる形になりました。
しかしテレビアニメ版では、この部分が大幅に追加されています。
幽助対黄泉をはじめ、蔵馬や飛影など主要キャラクターの試合がアニメ独自の内容を交えながら描かれました。
つまり終盤に限っては、「アニメが原作を引き延ばした」というより、「原作で描かれなかった部分をアニメが補った」という珍しい関係になっています。
原作とアニメを両方見ることで、魔界統一トーナメントの印象がかなり変わるでしょう。
蔵馬と飛影の出会いは26年後に初めてアニメ化された

テレビアニメ『幽☆遊☆白書』は1992年から1995年まで、全112話が放送されました。
しかし原作漫画のすべてが映像化されたわけではありません。
代表的なのが、蔵馬と飛影が初めて出会った過去を描く『TWO SHOTS』です。
さらに原作終盤の『のるか そるか』も、テレビシリーズでは映像化されませんでした。
それから長い年月が経った2018年。
テレビアニメ25周年企画として『TWO SHOTS』と『のるか そるか』が完全新作アニメとして制作されました。
1992年のテレビアニメ開始から数えると、蔵馬と飛影の出会いが映像になったのは約26年後です。
当時と同じ主要声優陣が再び集まっているところも、長年のファンにはうれしい作品となっています。
幽助たちが「役者」になっている作者公認の別世界がある
『幽☆遊☆白書』には、さらに変わった番外編があります。
連載終了後、冨樫義博氏が制作に参加した同人誌『幽遊終了記念 ヨシりんでポン!』です。
その中に収録された『12人のおびえる者たち』では、幽助たちが『幽☆遊☆白書』という作品に出演していた役者のような存在として描かれています。
会話には「役柄」や「契約」といった言葉が登場し、本編とはまったく違う関係まで描かれました。
これをそのまま受け取れば、「幽助たちは本当は役者で、『幽☆遊☆白書』は劇中劇だった」という驚くべき話になります。
ただし、これは本編の正式な世界観を変更する設定ではありません。
連載を終えた冨樫義博氏自身がキャラクターを使って遊んだ、セルフパロディとして考えるのが自然でしょう。
それでも、原作者本人が幽助たちを「作品を演じていた人物」のように描いているという事実は、『幽☆遊☆白書』最大級の変わった裏話かもしれません。
『幽☆遊☆白書』は裏側を知ると終盤の見え方が変わる
『幽☆遊☆白書』には、飛影が最初から仲間になる予定ではなかったことや、戸愚呂(弟)の「100%」が分かりやすさから生まれたことなど、多くの制作秘話があります。
一方で、霊界による妖怪への工作や幽助の人間の父親など、テレビアニメではほとんど知られない原作側の設定も残されています。
特に興味深いのは、物語後半になるほど冨樫義博氏自身の考えが作品に強く表れていることです。
樹の言葉や魔界統一トーナメントの終わり方を制作背景と一緒に見ると、『幽☆遊☆白書』終盤の少し変わった雰囲気にも理由が見えてきます。
単なる能力バトルだけではなく、「正義とは何なのか」「戦い続けることに意味があるのか」というところまで踏み込んだからこそ、『幽☆遊☆白書』は今でも語り継がれているのかもしれません。






















