あだち充氏の代表作『タッチ』は、上杉達也・上杉和也・浅倉南の青春を描いた作品です。
高校野球と恋愛を描いた名作として知られていますが、制作の裏側には、本編を見ているだけでは分からない意外な話が数多く残されています。
特に驚かされるのが、作品最大の転換点となる和也の運命です。
実は連載途中で思いついた展開ではなく、『タッチ』というタイトルを付けた時点から大きな方向性が決まっていました。
さらに、その構想を守るために編集部を巻き込んだ「逃亡劇」まで起きています。
ここでは、あだち充氏やアニメ制作陣、声優などが後に明かした『タッチ』の裏設定・制作秘話を紹介します。

あだち充の名作『タッチ』をまとめて楽しめる完全版・全12巻完結セット。
上杉達也と浅倉南を中心に、青春、恋、野球が丁寧に描かれています。
名場面の数々を最初から最後まで一気に楽しみたい方におすすめです。
『タッチ』は「バトンタッチ」という意味だった

『タッチ』というタイトルは、主人公・上杉達也の愛称「タッちゃん」から付けられたと思われることがあります。
しかし、あだち充氏本人が明かした本来の意味は「バトンタッチ」です。
和也が持っていた夢や思いを、兄の達也が受け継いでいく。
そんな物語の大きな流れそのものが、『タッチ』という短いタイトルに隠されていたのです。
あだち充氏は後年、和也の運命について尋ねられた際にも、最初からそのつもりで人物を作っていたことを説明し、「タイトルの『タッチ』はバトンタッチの”タッチ”」という趣旨を語っています。
『タッチ』というタイトルが決められた時点ですでに、和也から達也へ受け渡される物語になることは考えられていたわけです。
タイトルそのものが、物語最大の展開を最初からほのめかしていたともいえます。
和也が物語からいなくなる展開は最初から決まっていた
『タッチ』最大の衝撃として知られているのが、和也が交通事故によって命を落とす展開です。
それまで物語の中心にいた人気の高い人物だったため、当時の読者に与えた衝撃は非常に大きなものでした。
ところが、これは南をめぐる和也と達也の三角関係を終わらせるために後付けで考えられた展開ではありません。
前述のとおり、和也の運命は最初から決められていたのです。
むしろ重要なのは、その後です。
何でも器用にこなすのに本気になれなかった達也が、和也の残したものを背負いながら少しずつ変わっていきます。
『タッチ』にとって達也・和也・南の三角関係は単なる序章。
「和也から達也へのバトンタッチ」を描くため、最初から大きな転換点が用意されていたのです。
和也の運命を変えさせないため、原稿を渡して逃亡
和也の運命は作者の中では最初から決まっていました。
しかし、連載が進むにつれて和也の人気は非常に高くなっていきます。
そのため編集部からは、和也をそのまま登場させてほしいという強い反対意見が出ていました。
このときに起きたとされるのが、有名な「作者の逃亡劇」です。
2016年に紹介されたあだち充氏への取材では、和也の展開を変えるよう言われるのを避けるため、完成原稿を置いて行方をくらませたという趣旨の話が本人から語られています。
後に紹介された詳しい経緯では、当時の担当編集者だった三上信一氏は、あだち充氏に和也を残すよう求めた人物ではなく、むしろ作者の構想を守った側だったとされています。
編集長らから展開を変えられないよう、三上氏が原稿を秘密裏に印刷へ回せる状態まで進め、その後、編集部から一時姿をくらませたという話も残っています。
もしこのとき編集部の意見が通っていたら、現在知られている『タッチ』はまったく違う物語になっていたかもしれません。
作品タイトルの意味もまったく違うものになってしまいますよね。
和也がいなくなった後は意識して明るさを戻していた
和也の一件をそのまま引きずれば、『タッチ』はかなり重い雰囲気の作品になっていたはずです。
しかし、あだち充氏はその後の物語を必要以上に暗くしないことを意識していました。
その参考にしたといわれているのが、西田敏行氏主演のテレビドラマ『池中玄太80キロ』です。
こちらも重い出来事を扱いながら、作品全体を暗くせず、笑いや日常を交えながら物語が進んでいきます。
あだち充氏は、この「重い題材でも軽く見せながら感情を伝える」という雰囲気を『タッチ』でも意識していたとされているのです。
実際に『タッチ』では、和也がいなくなった後も悲しみだけが延々と描かれるわけではありません。
学校生活や軽い会話が戻り、その中で達也や南が少しずつ前へ進んでいきます。
『タッチ』特有の「重いことを重く描きすぎない」雰囲気にも、こうした制作上の考えがあったのです。
アニメ独特の長い「間」は意図的に作られていた
アニメ版『タッチ』を見ると、人物がすぐに返事をしなかったり、風景だけがしばらく映ったりする場面が多くあります。
一見すると何も起きていない時間ですが、これは単なる時間調整ではありません。
原作のあだち充氏自身が、人物にすべてを語らせず、「間」で感情を表現することを意識していました。
アニメ版でも、その特徴が重要視されています。
浅倉南役の日髙のり子氏も、『タッチ』にはセリフの間が多く、その裏にある感情まで声だけで表現する必要があったため、非常に難しかったと振り返っています。
総監督の杉井ギサブロー氏も、あだち充氏の作品について、人の内面をどうアニメーションで表現するかという点で大きな影響を受けたと語っています。
杉井氏は「すべてを見せないことで、見ている人に想像してもらう」という考えを持っていました。
そのため、人物の表情を直接見せずに別の物を映したり、静かな時間を長く取ったりする演出が使われています。
アニメ版『タッチ』の独特な空気は、古い作品だからテンポが遅いのではなく、言葉にできない感情を伝えるために意図して作られた部分が大きかったのです。
浅倉南は「声優らしくない声」が決め手だった
現在では、浅倉南といえば日髙のり子氏の声を思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし、『タッチ』の制作当時、日髙氏は声優としてまだ経験が少なく、大役を数多く演じていたわけではありませんでした。
普通なら経験の少なさは不利になりそうですが、南役では逆でした。
日髙氏が約20年後に杉井ギサブロー氏へ「なぜ自分を南役に選んだのか」と尋ねたところ、理由の一つとして「声優としてのキャリアが少なく、しゃべり方が声優っぽくなかったこと」を教えられたと明かしています。
もちろん声質そのものが南のイメージに近かったことも理由でした。
つまり、作り込まれたアニメらしい話し方ではなく、ごく普通の女の子が自然に話しているような声が求められていたのです。
ただし、選ばれた後はかなり苦労しています。
当時の日髙氏は声優デビューからまだ1年ほどで、南の複雑な感情を声だけで表現できず、何度も録り直しになったことを本人が振り返っています。
現在では自然に聞こえる南の声も、最初から簡単に完成したものではありませんでした。
パンチと上杉家の父親は同じ声優だった
上杉家で飼われている大きな犬「パンチ」も、『タッチ』には欠かせない存在です。
アニメでは個性的な鳴き声や反応で、重くなりそうな場面を和らげてくれます。
そんなパンチの声を担当していたのが、千葉繁氏です。
さらに面白いことに、千葉繁氏はパンチだけを担当していたわけではありません。
達也と和也の父親である上杉信悟も、同じ千葉繁氏が演じています。
つまり上杉家では、父親と飼い犬が同じ声優による一人二役だったのです。
千葉繁氏といえば独特の声や自由な演技でも知られており、パンチの鳴き声も大量のアドリブだった、とも言われています。
主題歌「タッチ」は野球を意識せず作られていた
岩崎良美氏が歌う「タッチ」は、現在では高校野球の応援でも使われるほど有名な曲です。
そのため、最初から野球アニメらしい曲として作られたと思ってしまいます。
ところが、作曲・編曲を担当した芹澤廣明氏によると、曲を作る際に「野球」というテーマは意識していませんでした。
その理由は、原作者側から「アニメの音楽ではないようなテーマソングを作ってほしい」という趣旨の注文があったためです。
芹澤氏はアニメの絵コンテを見ながら曲を作り、印象的なイントロについても、スピード感を出すために音の入り方を細かく考えたと明かしています。
つまり「野球作品だから野球らしい曲を」という発想ではありませんでした。
作品の青春や恋愛の雰囲気にも自然に合う、一つの歌として成立する曲を目指していたのです。
結果として「タッチ」はアニメの枠を超えて広まり、長い年月がたった現在でも歌われています。
野球を意識せずに作った曲が、その後高校野球を代表する応援曲の一つになったというのも、『タッチ』らしい不思議な裏話です。
タッチの裏設定まとめ

『タッチ』の制作秘話を調べていくと、作品の大きな流れが最初から考えられていたことが分かります。
和也から達也へ夢や思いを渡す「バトンタッチ」は、作品のタイトルにまで隠されていました。
そして和也の運命を変えようとする編集部の反対に対して、作者と担当編集者が当初の構想を守ったという珍しいエピソードも残っています。
アニメ版にも、長い「間」を生かした演出、経験の少なさが逆に評価された日髙のり子氏、パンチと上杉信悟を演じ分けた千葉繁氏など、知らなければ気づかない工夫があります。
さらに、今では高校野球の定番となった主題歌「タッチ」さえ、制作時には野球そのものを意識していなかったという意外な背景がありました。
こうした裏側を知ってから作品を見直すと、何気ないタイトルや静かな場面にも、以前とは違った意味が見えてくるのではないでしょうか。

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