『鋼の錬金術師』は、2001年から2010年まで「月刊少年ガンガン」で連載された荒川弘氏の代表作です。
細かく張られた伏線や独特の錬金術の世界観が高く評価されていますが、実は漫画本編だけでは分からない設定も数多く存在します。
公式ガイドブックで明かされた人物関係から、荒川弘氏が語った制作秘話、有名な元ネタ考察まで紹介します。
スカーには本名が設定されている

本編では最後まで「傷の男(スカー)」と呼ばれ、本名が明かされることはありません。
しかし単行本15巻のおまけでは、本名について荒川弘氏が「決めてあるけどヒミツ」という趣旨の回答をしています。
つまり、最初から名前が存在しない人物だったわけではありません。
荒川弘氏の中には本名があるものの、読者には公開されないまま物語が完結したことになります。
名前を捨てた人物として描かれたスカーだからこそ、あえて最後まで明かさなかったとも考えられます。
グラマンはリザ・ホークアイの祖父
東方司令部をまとめるグラマン中将とリザ・ホークアイには、漫画本編でははっきり説明されない血縁関係があります。
公式の『鋼の錬金術師 パーフェクトガイドブック2』では、グラマンがリザの母方の祖父であるとされています。
そのため、グラマンがマスタングに「孫を嫁にもらわんか」という話をしていた場面も、別の意味を持って見えてきます。
あの「孫」がリザを指していたとすれば、かなり大胆な発言だったことになります。
本編だけを読んでいても確定できない、代表的な隠し設定です。
マスタングとホークアイが結婚しない理由

マスタングとホークアイの関係は、本編終了後もはっきりと恋人や夫婦とは描かれていません。
これについて『荒川弘イラスト集 FULLMETAL ALCHEMIST 3』では、二人が結婚しないのかという読者からの質問に荒川弘氏が回答しています。
理由は、結婚すると軍の規則によって「上司とその補佐」という現在の関係を続けられなくなるためです。
ただし、荒川弘氏が「二人は恋人同士」と明言したわけではありません。
二人の距離をあえて決め切らず、現在の関係を残した回答と見るのがよさそうです。
軍人の名前には軍用機などの名前が隠れている
アメストリス軍の人物を並べると、現実の軍用機や航空機メーカーと同じ名前が次々に見つかります。
ロイ・マスタングはP-51マスタング、リザ・ホークアイはE-2ホークアイ、ジャン・ハボックはA-20ハボックと名前が一致します。
さらにグラマンは航空機メーカーのグラマン、ブレダやファルマンなどにも航空関係の名前との共通点があります。
資料では、軍人の名前は軍事関係の言葉と人名辞典などを組み合わせて付けられていると紹介されています。
作品全体が軍事国家を舞台としているだけに、登場人物の名前にも世界観が仕込まれているわけです。
『鋼の錬金術師』は最初は読み切りだった
現在では全27巻の長編作品ですが、最初から長期連載として考えられていたわけではありません。
荒川弘氏によると、『鋼の錬金術師』は当初読み切り漫画として描いていた作品でした。
その後「月刊少年ガンガン」で新連載を増やす企画が始まり、読み切り案を連載用に作り直したそうです。
結果的に、荒川弘氏にとって初の長期連載が世界的な人気作品へ成長しました。
オートメイル誕生のきっかけは現実の義肢だった

エドの右腕と左脚を支える機械鎧「オートメイル」は、『鋼の錬金術師』を代表するアイデアです。
この発想には、荒川弘氏自身の経験が関係しています。
荒川弘氏はリハビリ施設付近で交通整理のアルバイトをしていた時、義肢を使って生活する人を目にしました。
そこから機械の手足を持つ主人公という発想が生まれ、『鋼の錬金術師』の構想へつながったと語られています。
ファンタジー的な装備に見えるオートメイルですが、出発点には現実の光景があったのです。
両手を合わせる錬成ポーズの原型は「いただきます」

エドたちが錬成陣を使わず錬金術を行う時には、両手をパンと合わせます。
あまりにも有名なポーズですが、荒川弘氏はこの形が生まれた理由についても語っています。
錬金術には「円の力で循環させる」という考えがあり、自分の体で円を作る方法を考えた結果、両手を合わせる形になったそうです。
さらに荒川弘氏は、元をたどれば食事前の「いただきます」の姿も影響しているかもしれないと話しています。
宗教的な祈りにも見えるため、作品の世界観にうまくなじんだポーズになりました。
シン国は中国の「錬丹術」から生まれた
リン・ヤオやメイ・チャンの故郷であるシン国は、最初から登場人物ありきで作られた国ではありません。
荒川弘氏が西洋の錬金術について調べている中で、中国には「錬丹術」と呼ばれる別の考え方があることに注目しました。
そこで「錬金術があるなら錬丹術も登場させよう」と考え、東方の国シンを作ったそうです。
その後にリンたちの人物設定が作られ、ホーエンハイムの過去とも結び付けられていきました。
世界を先に作り、その世界から人物が生まれた珍しい例です。
イシュヴァールにはインド周辺のイメージが入っている
イシュヴァールについては「中東がモデル」「特定の民族がモデル」など、さまざまな説があります。
しかし荒川弘氏本人は、もう少し違った説明をしています。
西洋の錬金術と中国の錬丹術を調べていくと、その中間に位置するインドにも錬金術文化があることを知り、「イシュヴァールはその辺りをイメージしている」と語っています。
そのため、イシュヴァールを現実の一つの国や民族だけに当てはめるのは正確ではありません。
いくつもの文化や歴史を調べたうえで作られた地域と考える方が、荒川弘氏の説明に近いでしょう。
イシュヴァール戦を描くため実際の戦争経験者に話を聞いていた
イシュヴァール戦には、きれいごとだけでは終わらない重い描写が数多く登場します。
その背景には荒川弘氏による取材がありました。
『鋼の錬金術師』を描く際、実際に戦争を経験した人から話を聞いていたと荒川弘氏本人が明かしています。
親族にも戦争経験者がおり、その中にはインパール作戦を経験した人物もいたそうです。
歴史上の出来事としてではなく、身近な人の経験として聞いたことが、作品の描写にも影響したと考えられます。
真理の扉の模様は人によって違う!実在する神秘思想がモチーフ

『鋼の錬金術師』に登場する「真理の扉」は、誰が開いても同じ姿をしているわけではありません。
よく見ると、扉の表面に刻まれた図柄は持ち主ごとに違っています。
エドワードの扉に描かれているのは、ユダヤ神秘思想「カバラ」の生命の樹を思わせる図です。
特に17世紀の思想家ロバート・フラッドが描いた生命の樹とよく似ています。
一方、アルフォンスの扉には、15世紀の錬金術師ジョージ・リプリーの錬金術図を思わせる意匠が使われています。
ロイ・マスタングの扉には、焔の錬金術の錬成陣と似た図柄が確認できます。
つまり真理の扉は、その人物が学んできた錬金術や思想を映し出しているとも考えられるのです。
さらに興味深いのが「お父様」です。
他の人物の扉には複雑な図柄が刻まれているのに、お父様の扉には目立った模様がありません。
そのため「他人の力や賢者の石に頼り、自分自身では何も成長しなかったことを表しているのではないか」と考察されています。
ただし、この意味については作者の荒川弘氏が明言した設定ではなく、あくまで作中描写から生まれた考察です。
真理が奪う「通行料」には残酷な共通点がある
人体錬成を行って真理の扉を開いた者は、必ず「通行料」として身体の一部を奪われます。
しかし、何を奪われるかは無作為ではありません。
作中ではお父様が、それぞれの人間が求めたものに対して、真理が皮肉な代価を与えていると読み解いています。
母親を取り戻そうとしたエドワードは、自分の足で前へ進むための「脚」を失いました。
母親の温もりを求めたアルフォンスは、温もりを感じられる「肉体そのもの」を失います。
亡くした我が子を取り戻そうとしたイズミ・カーティスは内臓の一部を奪われ、二度と子どもを産めない身体になりました。
そして国の頂点に立ち、未来を見据えていたロイ・マスタングは「視力」を奪われます。
欲しかったものと正反対のものを奪うことで、人間が神の領域へ踏み込んだ代償を突きつける。
この残酷な皮肉こそ、真理の扉が単なる錬金術の装置ではないことを示しています。
エドが最後に真理に「勝てた」本当の理由
物語の最後、エドワードはアルフォンスの身体を取り戻すため、再び真理と向き合います。
しかし、そこで差し出したのは自分の腕や脚でも、賢者の石でもありませんでした。
エドが代価として選んだのは「自分自身の真理の扉」です。
真理の扉を失うことは、二度と錬金術を使えなくなることを意味します。
物語の序盤のエドは、錬金術さえあれば失ったものを取り戻せると考えていました。
しかし数々の経験を経て、最後には錬金術がなくても自分には家族や仲間がいると受け入れます。
それを聞いた真理は、エドに「正解」だと告げました。
つまりエドが真理に勝ったのは、より高度な錬金術を身につけたからではありません。
「錬金術ですべてを解決できる」という思い上がりを捨て、不完全な一人の人間であることを受け入れたからです。
真理の扉を開くことで始まった物語が、最後には「真理の扉そのものを捨てる」ことで終わる。
この対比は、『鋼の錬金術師』でも特に美しい伏線回収の一つといえます。
「伏線は全部最初から計算されていた」は少し違う
『鋼の錬金術師』には大量の伏線があるため、「第1話の時点ですべての展開が完成していた」という話を見かけることがあります。
実際、初代担当編集者の下村裕一氏は、連載開始時からラストまでの大筋はほぼ固まっていたと証言しています。
しかし、細かな展開まですべて決まっていたわけではありません。
荒川弘氏自身、人物が想定していなかった方向へ動くことがあり、完全にエンディングが固まった時期についても「いつ頃だったかな」と振り返っています。
つまり「ゴールは早い段階から決まっていた」が正しく、「全108話を最初から完全に設計していた」というのは少し大げさです。
2003年版アニメが原作と違うのは原作者公認だった
2003年版アニメは途中から原作とは大きく違う物語へ進みます。
そのため「アニメ制作側が勝手に内容を変えた」という噂もありますが、実際の制作事情は異なります。
当時は原作漫画がまだ連載途中だったうえ、『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.4』に収録された水島精二監督との対談では、荒川弘氏がアニメ側へかなり自由に任せていたことが語られています。
荒川弘氏は、漫画とアニメがまったく同じものになる必要はないという考えを持っていました。
そのため2003年版は「原作再現に失敗した作品」ではなく、最初から別の道を進むことを認められて作られた『鋼の錬金術師』だったのです。
ホーエンハイムの名前は実在した錬金術師が元ネタ?
ヴァン・ホーエンハイムという名前には、非常に有名な元ネタ説があります。
16世紀に活躍した実在の錬金術師・医師パラケルススの名前は、テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムでした。
錬金術を扱う作品に「ホーエンハイム」という人物が登場するため、パラケルススを元ネタにしたと考えるのはかなり自然です。
ただし、荒川弘氏が「パラケルススから名前を取った」と明言した一次資料は確認できません。
名前と職業の一致から生まれた非常に有力な考察として扱うのが正確でしょう。
単行本のカバー下では亡くなった人物が昇天している
『鋼の錬金術師』は単行本のカバーを外した部分にも大量のギャグが仕込まれています。
特に有名なのが、本体の背表紙です。
その巻で亡くなった人物や動物が、翼を付けて空へ昇っていく姿が描かれることがあります。
本編が重い展開だった巻でも、最後には荒川弘氏らしいブラックユーモアに変えられているのが特徴です。
ただしショウ・タッカーなど、一部は普通の「昇天」とは違う扱いを受けています。
カバーを先に外してしまうと、その巻の展開が分かってしまうことすらあるほどです。
荒川弘氏は出産しても『鋼の錬金術師』を休載しなかった
作品そのものではありませんが、『鋼の錬金術師』最大級の制作裏話として有名なのが荒川弘氏の連載記録です。
荒川弘氏は2007年、『鋼の錬金術師』連載中に第1子を出産しています。
それにもかかわらず、妊娠中から出産後まで『鋼の錬金術師』を一度も休載しなかったことで知られています。
ネット上では「出産直後からすぐ原稿を描いた」など話が大きくなっている場合もありますが、そこまで細かな逸話は注意が必要です。
確実なのは、2007年の出産をはさみながら連載を途切れさせなかったという点です。
鋼の錬金術師の裏設定まとめ

『鋼の錬金術師』には、本編だけでは分からない裏設定や制作秘話が数多く残されています。
スカーには公開されていない本名があり、グラマンとリザには意外な血縁関係が設定されていました。
また、軍人の名前に軍用機などの名称が使われていたり、真理の扉に実在する錬金術の図が取り入れられていたりと、細かな部分にも元ネタが隠されています。
さらに、イシュヴァールやシン国の設定には荒川弘氏が調べた歴史や文化が反映されており、作品の世界が偶然できたものではないことも分かります。
本編を読み終えたあとにこうした裏設定を知ると、何気なく見ていた名前や場面にも別の意味が見えてきます。
『鋼の錬金術師』が何度読んでも新しい発見のある作品と言われる理由は、こうした本編の外まで作り込まれた設定にもあるのかもしれません。





















