1972年に放送されたアニメ『デビルマン』は、永井豪氏の代表作として現在も高く評価されています。
しかし、漫画版を読んでからアニメを見ると、同じ『デビルマン』とは思えないほど設定や物語が違います。
実は、この違いには「漫画をアニメ向けに変更した」という単純な理由では説明できない制作事情がありました。
さらに、飛鳥了は当初まったく違う役だったことや、漫画版の有名な結末も最初から決められていたわけではないことが、永井豪氏本人の証言からわかっています。
ここでは、1972年のテレビアニメ版を中心に、漫画版との関係、制作時の裏話、有名な説の真相など、『デビルマン』を知っているからこそ面白い裏設定を紹介します。

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悪魔との壮絶な戦いだけでなく、人間の恐ろしさや愛、善悪を問いかける重いテーマも大きな魅力です。
衝撃的な展開と伝説的な結末まで、名作をまとめて味わいたい方におすすめです。
『デビルマン』の原点は『魔王ダンテ』だった

『デビルマン』より先に、永井豪氏は1971年から『魔王ダンテ』という漫画を連載していました。
人間と巨大な悪魔的存在が一体になるという発想や、神と悪魔の関係を単純な善悪だけで描かない世界観など、『デビルマン』につながる要素がすでに登場しています。
小学館も現在、『魔王ダンテ』を「『デビルマン』の原点ともいえる作品」と紹介しています。
永井豪氏自身も、『魔王ダンテ』の要素が『デビルマン』と『マジンガーZ』という二つの作品へ分かれていったように思うと振り返っています。
つまり『デビルマン』は突然生まれた作品ではなく、『魔王ダンテ』で試したアイデアをさらに発展させた作品だったのです。
漫画をアニメ化した作品ではなかった
現在では「永井豪氏の漫画『デビルマン』を東映動画がアニメ化した」と思われることがあります。
しかし、実際の制作順序は少し違います。
『デビルマン』は最初からテレビアニメを作る企画として動き始めました。
永井豪氏がアニメ用の物語やキャラクター設定を作って東映動画へ渡し、アニメ制作が始まるのとほぼ同時に『週刊少年マガジン』で漫画連載を開始しています。
ところが、永井豪氏が漫画を描き始めると、最初に作ったテレビ用設定から急速に離れていきました。
永井豪氏本人も、漫画がテレビ版の内容から「どんどんかけ離れて行った」と振り返っています。
そのため、漫画版とアニメ版は「原作と映像化作品」というより、同じ企画から同時に生まれて別方向へ成長した兄弟のような関係と考えたほうがわかりやすいでしょう。
飛鳥了はテレビ版の設定には存在していなかった

漫画版で不動明と並ぶ重要人物が飛鳥了です。
ところが、1972年のテレビアニメには飛鳥了が登場しません。
これはアニメ側が重要人物を削除したというより、漫画を描き始めた永井豪氏が後から飛鳥了を作ったためです。
永井豪氏によれば、漫画版はテレビ版より年齢が高い『週刊少年マガジン』の読者が読むため、テレビ用設定のままでは物足りないと考えたそうです。
そこで、不動明に最強デーモン「アモン」が乗り移るきっかけを作った人物として飛鳥了を登場させました。
テレビ側の企画には存在しない人物だったため、アニメのプロデューサーから「こんなキャラ、アニメの方にはいない」と言われたことも永井豪氏本人が明かしています。
しかも、さらに驚くべき裏話があります。
飛鳥了は最初から物語の中心人物になる予定ではありませんでした。
当初は不動明をデビルマンの世界へ導いたあと、序盤で物語から退く予定だったそうです。
しかし、飛鳥了を外すと物語がうまく動かなくなったため再登場させ、その役割がどんどん大きくなっていきました。
そして最終的には、あの「飛鳥了=サタン」という設定へつながったのです。
飛鳥了の正体は最初から決まっていたというイメージがありますが、実際には物語を描く中で生まれた設定でした。
永井豪氏自身も、後半になって「本当の主人公は了だった」と気づいたと語っています。
アニメ版の不動明は漫画版とは別人に近い
漫画版とテレビアニメ版では、不動明とデビルマンの関係そのものが違います。
漫画版では、不動明がデーモンと一体になりながらも自分の意識を保ち、「人間の心と悪魔の力を持つ存在」になります。
一方、1972年のテレビ版では、本来の不動明はヒマラヤで命を落としています。
その体をデーモン族の勇者デビルマンが利用し、不動明として人間社会に入り込んでいるのです。
つまりテレビ版で普段「明」と呼ばれている人物の人格は、基本的には最初からデビルマンです。
牧村ミキと接することで、人間を理解し、人を愛する心を覚えていきます。
そのためテレビ版は「人間だった明が悪魔の力を得る物語」ではありません。
「人間ではなかったデビルマンが、人を愛することで人間らしい心を得ていく物語」という、漫画版とは反対方向の構造になっています。
アニメ版のデザインがヒーローらしいのには理由がある
漫画版のデビルマンは、かなり生物的で不気味な姿をしています。
それに対してテレビアニメ版は、緑色の体、はっきりした顔、ベルトのように見える腰部分など、当時の変身ヒーローに近いデザインになりました。
これは偶然ではありません。
テレビ版のキャラクターデザインを担当したのは小松原一男氏で、東映ビデオも「原作版とは大きく印象の異なる、よりヒーロー然としたデビルマン」と説明しています。
さらに当時は変身ヒーローブームの真っただ中でした。
『デビルマン』は『人造人間キカイダー』と並び、土曜日夜8時台の「魔獣怪人大変身!!」という番組枠で放送されています。
そのためテレビ版デビルマンは、怪物らしさだけではなく、子どもたちが応援できる「変身ヒーロー」として成立する姿を求められていたと考えられます。
アニメ版が明るいのは単純な規制ではない
漫画版は物語が進むほど重い内容になり、人間そのものへの疑問を描く作品へ変わっていきます。
その一方、テレビアニメ版はデビルマンが毎週現れる妖獣と戦う、一話完結型のヒーロー作品として作られました。
この違いから、「テレビでは過激な内容が規制されたため、子ども向けに変更された」という説も見かけます。
もちろん放送媒体の違いは無視できません。
しかし、制作資料を見る限り、それだけが理由ではありません。
東映側は最初から、子どもでも楽しめる一話完結のヒーロー作品として幅広い視聴者を狙っていました。
さらに脚本の多くを担当した辻真先氏による、変身ブームを意識した怪奇アクションという方向性も公式に説明されています。
一方の永井豪氏は、漫画を読む『週刊少年マガジン』の読者はテレビ視聴者より年齢が高いため、テレビと同じ内容では満足してもらえないと考えていました。
つまり両者の違いは「規制によって別物になった」というより、最初から違う読者・視聴者へ向けて、それぞれが独自に進化した結果だったのです。
テレビ版には「最終回が二つある」
1972年版『デビルマン』には、放送史上かなり珍しい裏事情があります。
地域によって「最後に見たエピソード」が違っていたのです。
シリーズには第38話「妖獣ドリムーン 月は地獄だ」と、第39話「妖獣ゴッド 神の奇蹟」が存在します。
ところが本放送時のキー局では、第38話が1973年3月31日の最後の放送になりました。
一方、一部の地域では第39話まで放送されたため、「最終回が二つあるアニメ」として知られるようになります。
この奇妙な状況には、当時のプロ野球中継が関係していたとされています。
放送期間中に野球中継による休止が想定されていた一方、地方局では放送回数にずれが生じ、第39話まで流れた地域がありました。
現在の映像商品にも全39話が収録されており、東映ビデオは「キー局版」と「ローカル局版」という二つの放送形式を収録しています。
昔リアルタイムで見た人同士の間で「自分が覚えている最終回と違う」という話が起こるのは、このためです。
漫画版の「打ち切り説」は半分本当だった
漫画版の急激な終盤については、昔から「人気が落ちて突然打ち切られたのではないか」という説があります。
しかし、これは正確ではありません。
漫画版はテレビアニメとはまったく違う方向へ進み、終盤には非常に大きな物語になっていました。
永井豪氏は、本来ならさらに約1年をかけて描く構想を持っていたとされています。
ところがテレビアニメが1973年3月で終了することになり、『週刊少年マガジン』側から漫画も同時期に終えてほしいという話が出ました。
永井豪氏はその期間ではまとめられないとして延長を求め、最終的に漫画版は1973年5月まで続いています。
つまり「予定より早く終えることになった」という意味では打ち切り説に近い部分があります。
しかし、「人気がなかったから突然終了した」という説明は違います。
むしろ、本来1年ほどかける予定だった構想を短期間に圧縮したことで、あの息をつかせない終盤が生まれたとも考えられます。
人間の怖さには永井豪氏自身の体験が入っている
漫画版『デビルマン』を読んだ人にとって、もっとも恐ろしい存在はデーモンではないかもしれません。
疑いと恐怖が広がった人間社会そのものが、物語後半の大きな恐怖として描かれています。
この背景には、永井豪氏が『ハレンチ学園』の連載中に経験した激しい批判が影響していることが本人の証言からわかっています。
当時、永井豪氏はテレビ番組などで作品を強く批判されました。
ところが番組が終わると、それまで批判していた人たちが態度を変えてサインを求めてきたことがあったそうです。
永井豪氏は、この経験から人間の集団心理に強い疑問を感じたと振り返っています。
さらに1972年前後には、ベトナム戦争や学生運動など、社会の対立を伝えるニュースが連日のように報じられていました。
永井豪氏は、争いがどんどん大きくなったらどこまで行くのだろうという不安を感じながら『デビルマン』を描いていたと語っています。
そのため漫画版後半の混乱は、単なるホラー展開ではありません。
当時の現実社会で永井豪氏が感じていた「人間は恐怖を感じると、誰かを敵だと思い込んでしまう」という不安が強く反映されているのです。
デーモンは宗教上の悪魔そのものではない
『デビルマン』という題名から、キリスト教などに登場する悪魔を題材にした作品だと思われがちです。
しかし、永井豪氏が描こうとしていた「悪魔」は少し違います。
永井豪氏は後年、『デビルマン』の根底にあるものは軍事化であり、宗教的な悪魔を描いたわけではないと説明しています。
人間が強大な武力を持ったとき、どのような存在になるのか。
強い力を手に入れた者が、その力を何のために使うのか。
そうした問題を「悪魔」という姿へ置き換えたのが『デビルマン』だったのです。
永井豪氏は別のインタビューでも、悪魔を単純な「悪」として描いているのではなく、人間が大きな武力を持った姿の象徴として考えていると説明しています。
この考え方を知ると、漫画版で神の側が必ずしも正しい存在として描かれていない理由も見えてきます。
『デビルマン』の本当のテーマは「悪魔を倒す正義のヒーロー」ではなく、「正義と悪を決めているのは誰なのか」という問いだったのです。
『デビルマン』最大の裏設定は「物語が作者の予定を超えたこと」

『デビルマン』には、最初から最後まで細かく計算された壮大な物語というイメージがあります。
特に飛鳥了の正体まで知ったあとに読み返すと、すべてが最初から伏線だったようにも見えます。
しかし、永井豪氏は連載開始時点では「出だししか考えていなかった」と明かしています。
本来なら序盤で役目を終えるはずだった飛鳥了が物語の中心人物となり、テレビ用に作った設定から漫画が離れ、当初想定していなかった方向へ作品そのものが進んでいきました。
永井豪氏自身、描いている最中には自分でもなぜこのような展開になるのかわからず、「何かに乗り移られたような感覚」があったと振り返っています。
その結果生まれた作品が、半世紀以上たった現在もさまざまな作品へ影響を与え続ける『デビルマン』です。
漫画とアニメの違いも、飛鳥了という人物の変化も、衝撃的な終盤も、最初から完成した設計図があったわけではありません。
作品そのものが連載とともに変化し、作者の予想さえ超えていったことこそ、『デビルマン』でもっとも興味深い裏設定なのかもしれません。

永井豪氏の代表作『デビルマン』をじっくり楽しめる、画業50周年記念の愛蔵版全5巻セット。
悪魔との壮絶な戦いだけでなく、人間の恐ろしさや愛、善悪を問いかける重いテーマも大きな魅力です。
衝撃的な展開と伝説的な結末まで、名作をまとめて味わいたい方におすすめです。





















