『静かなるドン』は、新田たつお氏による長期連載漫画です。
昼は女性用下着メーカーで働きながら、裏では新鮮組の総長という近藤静也の二重生活が大きな特徴になっています。
しかし、長い物語の裏には、本編を読んでいるだけでは分からない意外な制作秘話がいくつもあります。
実は最終回の最後の一言は、連載が始まる前から決まっていました。
さらに、最初は重い任侠漫画ではなく、ギャグ漫画として描かれていたそうです。
今回は、新田たつお氏本人や元担当編集者などが明かした制作秘話に加え、作中でひっそり明かされた驚きの設定も紹介します。

昼は下着メーカーの平凡な会社員、夜は巨大組織を率いる総長―ふたつの顔を持つ近藤静也の生き方を描いた『静かなるドン』。
笑いと緊張感のある抗争、人間ドラマ、恋愛が絶妙に絡み合い、長編ながら最後まで引き込まれます。
壮大な物語を一気に楽しみたい方におすすめの、全108巻セットです。
最終回の「静かだな…」は連載開始前から決まっていた

『静かなるドン』でもっとも驚く制作秘話の一つが、最終回です。
物語の最後、静也は「静かだな…」という言葉を残します。
実はこの最後の一言は、最終回を書く直前に考えられたものではありません。
元担当編集者によると、新田たつお氏は1988年に連載を始める前から、「最後は静也の『静かだな…』で終わる」という構想を話していたそうです。
そこから連載は1000話を大きく超える長編になりました。
途中の物語は何度も変化したにもかかわらず、約24年前に決めた最後の一言だけは変わらなかったのです。
タイトルの『静かなるドン』にもつながる言葉なので、最初と最後だけは一本の線でつながっていたことになります。
当初は「純粋なギャグ漫画」のつもりだった
後半の『静かなるドン』には、巨大組織同士の争いや重い人間ドラマが数多く登場します。
ところが、新田たつお氏はもともとギャグ漫画を中心に描いていた漫画家です。
『静かなるドン』についても、連載開始時はギャグ漫画のつもりで描いていたと明かしています。
現在の作品を知っていると意外ですが、初期にギャグが多いのはその名残でもあります。
作品が変わる大きなきっかけになったのが、静也と秋野明美の関係でした。
恋愛を丁寧に描くようになるにつれて、静也という人物そのものが作者の中ではっきりしていきます。
その結果、単純なギャグだけではなく、恋愛や家族、組織同士の争いまで描く長編作品へ変化していきました。
静也が下着デザイナーなのは「ヤクザから一番遠い仕事」だから
昼は女性用下着メーカー「プリティ」のデザイナー。
夜は巨大組織・新鮮組の総長。
この強烈なギャップは、『静かなるドン』を象徴する設定です。
では、なぜ静也は下着デザイナーなのでしょうか。
新田たつお氏によると、難しい設定を作り込んだ結果ではありません。
「ヤクザから一番かけ離れた仕事は何だろう」と考えた結果、女性用下着を作る仕事なら面白いと考えたそうです。
普通の会社員ではなく、あえて女性用下着のデザイナーにしたことで、静也の表と裏の差がさらに大きくなりました。
作品を代表する設定は、このシンプルな発想から生まれていたのです。
初期の静也の「ぐるぐるした目」には意外な理由がある
初期の静也と後半の静也を見比べると、顔つきがかなり違います。
特に分かりやすいのが目です。
初期は瞳がぐるぐるしたような独特な描き方ですが、物語が進むにつれて普通の目になり、表情も豊かになっていきます。
何か物語上の意味があるようにも見えますが、実は制作上の理由でした。
新田たつお氏自身が、連載初期はまだ「近藤静也という人物をつかめていなかった」という趣旨の説明をしています。
その迷いが、あの独特な目にも表れていたそうです。
秋野との恋愛などを描くうちに静也の性格が作者の中で固まり、それに合わせて顔も変わっていきました。
つまり静也の顔の変化は、そのまま作者が主人公を理解していった過程でもあるのです。
静也には「スーパーマン」と『木枯し紋次郎』の要素がある
静也は普段、会社では頼りない男性として扱われています。
ところが裏の世界へ入ると、まったく別の顔を見せます。
この設定について、新田たつお氏は連載開始前から「スーパーマンのようなもの」というイメージを持っていたと、元担当編集者が明かしています。
普段は普通の人物として暮らしながら、実は誰も知らない大きな力を持っているという構造です。
さらに静也の性格を作るうえでは、『木枯し紋次郎』のような主人公も意識されていました。
自分から争いを求めるのではなく、降りかかってきた問題に対して動く人物です。
静也が圧倒的な力を持ちながら、自分から総長として目立とうとしないのには、このような主人公像が関係していたようです。
妻と娘たちが『静かなるドン』を変えた
『静かなるドン』の方向性には、新田たつお氏の家族も影響を与えています。
妻で漫画家の笹生那実氏は、初期の作品を読み、「普段はさえない会社員なのに、実は大物」という設定を面白いと評価しました。
また、新田氏はギャグ漫画の感覚から、話を早く進めすぎることがあったそうです。
そこに笹生氏が、恋愛や人物の気持ちをもっと丁寧に描いた方がよいと助言することもありました。
さらに新田氏は、成長した娘たちに「くだらない漫画を描いている」と思われたくなかったとも振り返っています。
その気持ちもあり、作品は単純なギャグ漫画から、人物の人生まで描く物語へ変わっていきました。
『静かなるドン』の長期化には、作者の家族も少なからず関係していたのです。
1000話を超える作品なのにネームをほとんど作っていなかった
『静かなるドン』は非常に長い物語なので、最初から細かな計画を立てていたように思えます。
ところが新田たつお氏の漫画制作は、かなり独特でした。
漫画を描く前に作る「ネーム」をほとんど作らず、大まかな流れを決めたら原稿へ直接コマを割っていたそうです。
さらに、描いている途中で面白いアイデアが浮かぶと、最初に考えていた展開を変更することもありました。
そのため、連載開始時から1000話以上先まで物語が決められていたわけではありません。
ここが「最後の一言だけは最初から決まっていた」という裏設定をさらに面白くしています。
ゴールだけは決まっていましたが、そこへ向かう道は描きながら作られていたのです。
最終回を単純なハッピーエンドにしなかった理由
『静かなるドン』の結末については、連載中からさまざまな予想がありました。
中には「最後に静也が命を落とすのではないか」という予想もあったようです。
しかし、新田たつお氏は静也が命を落として物語が終わる形については否定しています。
一方で、静也と秋野が何も失わず、そのまま幸せに暮らすだけの結末にもしたくなかったそうです。
理由は、静也が裏の世界で生き、多くの人の命を奪ってきた人物だからです。
その人物だけが何の代償もなく幸せになるのは違う、と新田氏は考えていました。
つまり作者が考えていたのは、「静也を不幸にすること」ではありません。
静也が歩いてきた人生に合った結末にすることだったのです。
この考えは、後に描かれた『静かなるドン-もうひとつの最終章-』にもつながっています。
新鮮組の名前は幕末の「新選組」が元になっている
新鮮組という組織名を見て、幕末の新選組を思い浮かべた人も多いのではないでしょうか。
実際、組織名だけではありません。
新鮮組の人物には、新選組を思わせる名前が多数登場します。
生倉新八は永倉新八。
肘方年坊は土方歳三。
斉藤始は斎藤一。
沖田寝多は沖田総司を思わせる名前です。
単なる偶然ではなく、『静かなるドン』では幕末の新選組を意識した名前遊びが使われています。
公式資料でも「幕末とリンクする物語」という形で取り上げられており、作者が仕込んだ遊びの一つと考えられます。
一見すると重い任侠漫画ですが、人物名にはギャグ漫画家だった新田氏らしい遊び心が残っています。
生倉新八は新鮮組幹部なのに「戦闘力0」
新鮮組の幹部でありながら、とにかく頼りないことで知られる生倉新八。
そんな生倉の弱さは、単なるイメージではありません。
物語終盤では、なんと「戦闘力0」「赤子並み」という扱いを受けています。
暴走した静也は、本能的に周囲の強い相手を危険な存在として認識していきます。
ところが、生倉だけはまったく相手にされません。
新鮮組でも大きな勢力を持つ組長なのに、戦う力だけを見れば危険人物として認識されないほど弱かったのです。
そして、この弱さが思わぬ形で静也を止めることにもつながります。
普段は情けない部分として描かれていた生倉の弱さが、最後には役立つという『静かなるドン』らしいギャグ設定になっています。
12歳の静也は父・勇足を一晩で白髪にした?
静也の強さには、子どものころから異常なものがありました。
12歳の静也にまつわる有名なエピソードが、父・近藤勇足の髪が一晩で真っ白になった事件です。
当時の勇足は酒に酔って暴れ、静也が親しくしていた力士の金剛山にも危害を加えます。
それを見た静也は勇足を追いかけました。
その後、二人の間で何が起きたのかは、はっきりとは描かれていません。
ところが、再び姿を現した勇足は階段から転げ落ち、髪の毛が真っ白になっていました。
それまで静也を子ども扱いしていた勇足が、息子を恐れるようになるほどの出来事だったことが分かります。
そのため、「静也が勇足を返り討ちにして恐怖で白髪にした」と考える読者も多くいます。
ただし、静也が具体的に何をしたのかは直接描かれていません。
むしろ何も見せないことで、12歳の静也にどれほど恐ろしい一面があったのかを想像させる場面になっています。
静也は大物政治家の隠し子という衝撃の設定があった?
物語の途中では、静也の出生そのものをひっくり返すような話も登場します。
母・妙が、静也について「近藤勇足の子ではない」と明かすのです。
本当の父親として名前が出てくるのが、大物政治家の常盤金成でした。
もし本当なら、静也は新鮮組総長の息子ではなく、政治家の隠し子だったことになります。
ところが、この話にはもう一段仕掛けがありました。
妙は常盤を味方につけるため、静也との親子関係を利用していたのです。
つまり「静也は政治家の息子」という衝撃的な出生の秘密は、そのまま真実として確定した設定ではありません。
読者に「静也の強さや才能は勇足から受け継いだものではなかったのか」と思わせておいて、さらにひっくり返すミスリードになっています。
長い作品の途中で主人公の血筋まで疑わせる、大胆な仕掛けでした。
108巻・1175話の大作は「約3分の打ち合わせ」から始まった
『静かなるドン』は単行本108巻、全1175話という巨大作品になりました。
それだけに、連載開始前には何度も長い打ち合わせをしたように思えます。
ところが元担当編集者によると、新連載の話がまとまるまでにかかった時間は、わずか数分ほどでした。
当時、新田たつお氏がいたパチンコ店から近くの喫茶店へ移動し、そこで新連載について話し合ったといいます。
新田氏から出てきたのが、『静かなるドン』というタイトルと、「普段はさえない男だが、実は大物」という基本構想でした。
担当編集者はそのアイデアを聞き、すぐに連載へ進むことを決めています。
後に108巻まで続く作品の始まりとしては、驚くほど短い打ち合わせでした。
しかも新田氏自身は、連載開始時から一番人気になることを望んでいたわけではありません。
むしろ目立たず静かに始めたいと考え、人気も3~4番手くらいでよいと思っていたそうです。
ところが実際には、連載開始直後から読者の反応が集まり、予想以上の人気作品へ成長していきました。
「鳴戸は人気だから復活した」は本当?作者が10年後にも描きたかった人物

鳴戸竜次は一度、静也を守って命を落としたと思われ、葬儀まで行われました。
ところが後に、シシリアン・マフィアの用心棒「ドンファン」として生きていたことが明らかになります。
あまりにも大胆な復活だったため、「鳴戸の人気が高すぎて新田たつお氏が復活させたのではないか」と考える読者も多かったようです。
鳴戸という人物に新田氏が強い関心を持っていたことが分かる発言はあります。
旧シリーズ終了から約10年後、『静かなるドン-もうひとつの最終章-』を始める際、新田氏は数多くいる登場人物の中から鳴戸と龍宝にスポットを当てると明かしました。
二人については「水魚の交わり」のような強い結びつきがあると説明し、なぜそこまで仲が良くなったのかを新シリーズで描きたいと語っています。
さらに新田氏は、自分がもともと描きたいものは「男の友情」だとも話しています。
つまり鳴戸と龍宝は、新田氏が『静かなるドン』で描きたかった「絶対に裏切らない男同士の関係」を象徴する二人だったと考えられます。
「人気があったから鳴戸を復活させた」という説の真偽は分かりません。
しかし、一度は物語から姿を消した鳴戸を再登場させ、さらに約10年後の続編でも過去を掘り下げたことを考えると、鳴戸が作者にとって重要な人物だったことは間違いなさそうです。
もしかすると、鳴戸の退場から再登場というのも最初から決めていたのかもしれません。
静かなるドンの裏設定まとめ
『静かなるドン』は、最初から現在のような長編任侠漫画として設計されていたわけではありません。
始まりはギャグ漫画であり、物語も登場人物も連載しながら変化していきました。
それでも、「静かだな…」という最後の一言だけは連載開始前から決められていたというのが面白いところです。
一方、本編にも生倉の「戦闘力0」や、12歳の静也が勇足を白髪にしたと考えられる事件、静也の出生をめぐるミスリードなど、普通に読んだだけでは見落としやすい設定が隠されています。
108巻・1175話という長い作品だからこそ、初期の小さな設定やギャグが、何十巻も後になって別の意味を持つこともあります。
『静かなるドン』は静也の二重生活だけでなく、作品そのものにも多くの「表の顔」と「裏の顔」が隠された漫画だったのです。

昼は下着メーカーの平凡な会社員、夜は巨大組織を率いる総長―ふたつの顔を持つ近藤静也の生き方を描いた『静かなるドン』。
笑いと緊張感のある抗争、人間ドラマ、恋愛が絶妙に絡み合い、長編ながら最後まで引き込まれます。
壮大な物語を一気に楽しみたい方におすすめの、全108巻セットです。





















